やなぎみわ「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」展/原美術館

 デビューしたての、ほんの少女だったころの後藤久美子が何かのインタビューで
「将来の夢は?」
とたずねられて
「早く、おばあさんになりたい」
というような返答をしていた記憶がある。



 このやなぎみわの展示は、ガルシア・マルケスの小説『エレンディラ (ちくま文庫)』の映画化された作品にインスパイアされて作られたという写真と映像のシリーズ。*1


 たびたびモチーフとして登場するのは、両足と両腕だけがニュッと出るのみの、頭からすっぽりとテントをかぶり、荒涼とした砂地に立つ人物=砂女。すらりとした足は少女のものだが、枯れ枝のような腕は老婆そのもの。それは、“無慈悲な”老女が、“無垢な”孫娘エレンディラとともにテントで移動しながら旅をする映像からきたものらしい。*2


 物語の中で2人がテントの中ですることは、老女が元締めとなって、少女の体を無数の男たちにサービスし、金を稼ぐことである。

 
 美術ライターがどこかで、この展示に対するコメントとして
やなぎみわはなぜ、老女と少女ばかりで、同世代の女性をテーマに選ばないのだろうか」
というコメントを寄せていた。確かに最近はそうなのだが、彼女のデビュー作は「エレベーターガール」シリーズだった。


 エレベーターガールをはじめとして、様々な制服に身を包んだ作者自身と(当時)同世代の若い女性たちの写真集。しかし、彼女たちは一様に無表情であるばかりか、商業施設と思われる建物の中で、魂が抜かれたように宙を見つめたまま、立ち尽くし、時には人形のようにゴロリと床に倒れていたり。消費空間で消費されつくされたかのごとく。


 若い女性が着る制服。それは、接客のあるサービス業に従事していることを示す記号。ニッコリ笑顔で、身をもって献身的に尽くすお仕事。


 でも、身をもって献身的に尽くす…それは、全てのこの国の女性にかかる暗黙の圧力でもある。


 独特のファッションに身を包み(包まされ?)、公式行事では笑顔で手を振りつつ、男子を産めと無言で言われ続けるあの方から、バブルがはじけた後、会社の維持のため、男性社員の給与確保のためのコスト削減として、真っ先に切り捨てられた事務系制服女子社員たちまで。*3

 
 ただし、女性とはいえ、老女と少女はそんな圧力から自由な存在かもしれない。生殖の対象外だから。*4石原都知事の「ババア発言」*5しかり。


 近い将来、生殖の対象内に入る少女には期待を込めて「無垢=世の中を疑うな」の冠を、永遠に対象外となった老婆には「無慈悲、非情、いじわる=邪悪、害悪であり排除すべき」の冠をかぶせる。


 けれども、果たして少女は本当にただ無垢な存在なのか?「早く、おばあさんになりたい」と語った国民的美少女アイドルは、気づいていたのではないか。

 
 そして、老婆は圧力から解放され、初めて自由に自分に対して無垢になる。


 エレンディラの物語のラスト。老婆が死ぬと、エレンディラは急に、20年間の苦労も授け得なかった、分別臭さをたたえた大人の顔になる。そして、老婆を殺してくれた男をテントに置いたままたった一人、砂漠へ走り去っていく。消息は杳として知れず。


 少女と老婆。男性は「永遠の少年」であることが許され、むしろそれこそがすばらしいとされる向きすらあるが、女性は生殖タームによって、別々の冠で分けられる。


 けれども、私たちは一つ。
 

 …という妄想を抱かせる展示会でした。


 原美術館http://www.haramuseum.or.jp/
 トップ→コンテンポラリーアートのJapanese→EXHIBITIONS→PAST→やなぎみわ展にたどり着けます。ウザったいフラッシュのせいで直リンクができない状態。

*1:ただし、決して「エレンディラ」の焼きまわしではなく、あくまでインスパイアされたというだけで、彼女のオリジナルの世界観といえるもの。また、「エレンディラ」の他にも、老女と少女が登場するお伽噺がモチーフとなった写真も数多くある。「赤ずきん」「シンデレラ」「白雪姫」などなど。

*2:エレンディラ』の物語タイトルは正確には『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい非情な物語』。

*3:しかも、身もフタもないことを言えば、彼女らは元々は男性社員のお嫁さん候補としての採用。

*4:少女の方は、そういう趣味の男性もいるみたいですが…。

*5:女性が生殖能力を失って生きてるってのは、無駄で害悪云々。けれども最新の生物学の書『マザー・ネイチャー(上下巻)ISBN:4152086394 ISBN:4152086408』によると、人類の飛躍的な進化と繁栄の一因として、生殖能力を失ってもなお生きるおばあさんの存在が重要らしいですよ〜。