貧農史観を見直す 講談社現代新書 

 太平洋戦争中において、良識ある「庶民」という人々はとても無力で、心の中では「反戦」だったのだけれど、憲兵や非国民と言われるのが怖くて黙ってました、ひもじくて悲惨な境遇でした、と一様に括られている気がする。「火垂るの墓」みたいな感じとでもいうか。

 それはある一面では正しいのだけど、決して多くの「庶民」の皆さんが一方的に被害者とも思えないのだ。それはおととし、満州国関東軍が記した膨大な「庶民」の皆さんの手紙・電報などの検閲報告書のオリジナルを目にする機会を得て、確信できたのだが。で、何のためにこんなことを気にするかというと、私も現代を生きる「庶民」の一人だから。例えば選挙に行かないくせに、政治不満だけをタラタラ言うのは、一方的な被害者ヅラをするのと同じではないか、とか。悪いのは私じゃないと、常に弱者のフリをしている方が、楽だし、気分がいいけど、それじゃだめなんじゃないかとかね。

 同じ流れで、私たち大部分のご先祖様であり、江戸時代の庶民の代表格である農民の皆さんは「水戸黄門」に代表される時代劇の中でのような「後生ですだ、お代官様ぁ」と年貢を一方的に取り立てられ、惨めな生活をしていたのかどうかに常々疑問があって。「ラストサムライ」でなんだか日本人全員がサムライになったような気分だけど、江戸時代のお侍さん人口は1割程度だしね。

 で、本を読むとやっぱり、楽しい生活をしていたようであった。土地というか、ムラというコミュニティに縛られている点においては、不自由さはあるものの、それは現代の生活と比べてそう思うだけで、多分、そいういう生き方しかない時代においては、何も感じることもなかっただろう。土地あたりの米の生産量がアップしても、その土地の評価(年貢率)は原則として固定だったり、そもそも年貢というものが米をベースに考えられていて、米以外の農作物がドンドン作られ各地に流通するようになったら、その分はマル儲けなわけで。江戸も元禄ごろになると、生産効率も明治並みにあったというし、実質の年貢率は10%くらいの地域も存在したというから、消費税5%とプラスアルファの税金で生きてる私たちと、そんなに変わらないんじゃないかとかね。

 ただ、事例は沢山あがってはいるものの、推測部分も多くて、多分、貧農史観は間違っているのだと思うけど、東北地方の問題はどうなのよとか説明しきれていないところもある。本自体も薄いし。江戸時代の農村は放置されてたジャンルで、今、急速に研究が進んでいるのだそうなので、今後に期待。

 そもそも、「イエ」なる概念が庶民に生まれたのも江戸時代以降で、家族が一つ屋根の下に暮らすこと自体も当たり前でなかったことなども驚き。戦国時代以前は、農民は夫婦といえど主が違っていることはザラで、その子は男だったら父の主、娘だったら母の主のモノという分配の取り決め書があるという。よく考えればそうなんだけど「イエ」の概念は日本特有の昔からあるものと、教科書では教えられていたんで、そういう固定観念って誰にとって都合がいいんだろうかと。