写真はものの見方をどのように変えてきたか 第3部再生/東京都写真美術館

 見に行ったのは一週間前。もう終わっている展示です。

 サブタイトルが12の写真家たちと戦争。

 国策のプロパガンダ(報道写真)に協力しつつも、作家として生き延びた人、前衛やモダニズムを貫いて閉塞していき、撮れなくなった人、戦争中は一切製作をしないことで戦後、再び花開く人、少年時代の戦争体験から、戦後日本を写す写真家として登場した人。

 全体を通して思ったのは、戦争はつまらない、ビバ平和!でした。

 無理矢理やらされたテーマで撮っても面白くない。(作家の技量や、歴史資料としての価値は全く別ですが。)当局の批判をかわすための婉曲表現も、面白いというより、この人にはもっとやりたいこと、やれることがあったろうにと。

 またいつ終わるとも知れない中、作りたくないものを作らないために、作りたいものも作れず閉じこもるというのも…。国策に協力する写真でなければ存在価値が無に等しい時代ゆえに。最終的には物資不足で、材料すら手に入らないゆえに。

 彼らがしたような選択を、この先、しないで済むような世の中が続くことを望むのみ。

 小石清の「半世界」シリーズが見られてよかった。植田正治砂丘での演出写真ではなく、田舎の小道等に立つ子ども写真を初めてみたが、砂丘でなくともどこかシュールに見える。この人の写真はこの人にしか撮れないと改めて。

 中村立行のヌード写真。戦後、巷にあふれるヌードの質の悪さに怒りを覚えて、なら自分がと撮り始めた作品は、確かに美しい。なめらかで柔らかな、オブジェのよう。巷にあふれるグラビアの質の悪さは相変わらずだけど。

 また、歴史の記録として興味深かったものをいくつか。

 アサヒグラフ昭和12年12月の特集支那戦線の表紙。皇軍将校からキャラメルを貰って喜ぶ支那の子どもの図。やがて来る、ギブミーチョコレートで喜ぶ皇国の子ども…となる皮肉。

 昭和13年アサヒグラフの記事。「空間池(ち)を見逃すな/江戸川」。地じゃなくて池です。つまり、江戸川周辺の小さな沼地に片っ端から鯉などを稚魚を女子供の手で放流、育成し、食料増産に励んでがんばろうとしてます、ということ。北朝鮮の今と時空を経て重なってみえてしまう。

 昭和16年アサヒグラフに載っていた「わかもと」の宣伝。以下、お茶碗にご飯が盛られた写真にかぶるキャッチコピーを抜書き。

節米も愉し
量よりも消化 国策胃腸にする
無駄なく消化
日本人は一日平均三合*1が適当量でそれ以上は不必要(栄養研究所の実験によると)

現代も、健康情報が過剰なほど飛び交ってる世の中ですが、健康という概念・基準ですらも、政治によって都合よく変わるという一例か。栄養研究所の実験によると、という但し書きが、科学的というよりも科学の胡散臭さに輪をかけて。



 また、戦後の写真ですが。

 農村の若い女性たちの生活を写したもの。農繁期の合間に、みんなで一斉にお行儀見習いに励んだり、同じ講演会に参加したり。

 けれども、次のカットで一斉に、背中に赤ん坊をくくりつけたねんねこ姿で氏神様にお祓いに。氏神様のお祓いスペースは、赤ん坊をくくりつけたお母さんいっぱいいっぱい。お母さんの顔は皆、一様に純朴であどけない。年の端はまだせいぜい二十歳前後といったところ。

 ドキュメンタリーの主旨とは全く違うのだが、現代の私にはベルトコンベアに乗った、女性の大量生産人生に見えた。彼女たちは従順な子ども生産マシーン*2。過酷な農作業も家の仕事も、そういうものと思って粛々とこなしていたのだろう。

 少子化の原因を、今の若い女性がわがままになったからだというバッシングする人は、こういう昔の姿を理想的と頭に置いているのだろうか。

 ならば、私はビバ!少子化と思う。心から。

*1:というか、米3合で節米ってことは、当時は手に入れられるのは米ぐらいで、他のおかずは少ないということでしょうね。今は、三食必ずご飯の人でも、3合きっちり食べる人って、そんなにいないと思うんですが。おかずがあるから。男子高校生くらいか。でも、そもそもパンやらパスタやらでお米を食べなくなってきてますが。

*2:念のために、彼女たちを批判するつもりは、私には全くありません。