ミュシャ展/東京都美術館

菩薩様のよう

 平日金曜日に行ったつもりなのだが、ひどい混雑。日本人はなぜこんなにもミュシャが好きなのだろうか、と改めて疑問が浮かぶ。本当は単に、この状態を自分勝手に忌々しい!と思っているだけなのだけど。ええ、私も同じ穴のムジナですが、何か?
 ウフィツィ美術館のように、入場制限をする。2〜5時間待ちを覚悟で当日列に並ぶ、またはささやかな予約金を払って、翌日以降の予約時間に入るようにする。いずれにせよ、中では人の頭を気にせずゆったりと見ることができる。
 日本のように、来たものはすべからく順次館内に詰め込む方法(とりあえず待ち時間はなくスムースに入れるものの、すべての客が平等に肝心の絵を堪能できないという、不自由さも共有する)とどっちがいいのか?
 と言うわけで、自分勝手に日本人がミュシャを好きな理由を妄想。
1.基本的に商業グラフィックス
 一般に彼の作品として知られているのは、もともとはお芝居のポスターだったり、ビスケットとか香水、タバコにシャンパンなどといったモダンでおしゃれな新商品の宣伝ポスター用の意匠。大衆というか、皆に愛されることが前提のものばかり。なじみやすくて当然。
 ただし今回はそれ以外の、彼の油絵とか、オカルティックな素描、後期の民族主義色の出た作品も同時に展示されてて、面白かった。
2.浮世絵に通じるものあり
 リトグラフなので、基本的に版画の一種。線と面を中心にした、平面的な作品にならざる得ない。またどの顔、ポーズも様式化された美人というと、浮世絵の美人画を思い出す。描き方はまったく違うんですけどね。でも、浮世絵文化の国の民としては、とっつきやすい気が。例えば、あの髪の自然界ではありえない異様なウネリは、浮世絵的デフォルメと相通じるものがありそう。
3.その美人の背景には光背
 光背とは:http://butsuzo.cside.com/buddha/html/bkihon.html#kohai
 如来や菩薩の背後にある輪っかとでもいうか。ミュシャの描く美人の後ろにも、たいてい似たような装飾が施されております。だから、彼女たちを見ているとなんだか、ありがたいような気分に…なわけはないか。憂いを含んだような、ふわっとした表情は、仏像に通じるものがあるような、ないような(妄想)。
 
 それにしても。カタログによるとミュシャって奥さんも愛人もいたりなんかしたのですが、実は息子の談によるとひどい女性嫌い(蔑視)な人だったようで。あれだけ美人画ばっかり描いているのにね。
 大体似たような女性、モデルがいても(モデルの写真もあったから分かるけど)そのモデルの数倍美しく、ミュシャ節で描いてしまう。その女性である痕跡は、ほんのわずかしか残らず。
 彼の中に現実にはありえない理想の女性がいて、それをずーっと描いていたということでしょうか。これもまた一種の萌え〜なのか。
 で、萌えと言えば。