痕跡-戦後美術における身体と思考/東京国立近代美術館

解説によると

 肖像画や風景画のように「何かに似ている」のではなく、「何ごとかの結果」としてのイメージ。

が、展示会テーマの「痕跡」の意味のようです。具体的には切り裂かれたカンヴァスだったり、飛び散った塗料の跡だったり、画面に残された手形だったり、影を映したものだったり。
 それを1.表面 2.行為 3.身体 4.物質 5.破壊 6.転写 7.時間 8.思考と、8つのブースに分けて展示。
 …とはいえ、そんなに簡単に分けられるはずもなく、これって表面にあるけど、物質じゃないの?とか、そもそも全ての芸術作品って「痕跡」じゃん(絵画は筆の跡の集大成。彫刻もノミの跡の集大成。)とか、意地悪なツッコミは幾らでも可能といえば可能。
 けれども学芸員さんたちの、一般にあまり知られていないジャンルにスポットをあてようという知恵と努力の「痕跡」が感じられるところに好感を持ちます。なにより、展示量が多くて、お腹いっぱいです。
 でも、まぁ。「何かに似せよう」つまり、軌範というか型がなく、「何ごとかの結果」としてのイメージって、何でもありの世界。
 イブ・クラインの魚拓ならぬ、真っ青な女拓。若いお嬢さんが紙の上で楽しげにはじけてる感じ。男拓もありました。青というのは不思議な色で、変な話、ナプキンのCMで青い水が使われてますが、あれと同じで不思議と生々しさがない。
 アンディ・ウォーホールの、尿や精液のかかった作品もありました…。皆でいろんなビタミン剤を飲んで、色が変わるかどうか試してたそうです。(尿酸に反応するモノをキャンバスに塗ってたらしい。)人体実験ですね…。
 半分頭髪を刈った榎忠の写真「ハンガリー国へ半刈(ハンガリ)で行く」。展示は日本の風景ばかりですが、本当にハンガリーへ入国したそうです。しかも、10ヶ月かけて伸ばして左右逆バージョンもやってみたり。何よりスゴイのは、この方、普通の会社員でもあり、その間、半刈頭で会議にも出ていたそうで。
 バカさ加減スレスレというか、何事かを表現しようとする有り余る勢い?に溢れていて、人間って深いなぁと思う次第。
 個人的に面白かったのは白髪一雄のフットペインティング。まさに、足で描く抽象画。油絵の具の塊をグググィーッと、伸ばして。その太い線の勢いというか、かすれ具合とか。色んな色を重ねていくので、ものすごく立体的でもあります。足という手段抜きに、めちゃくちゃで面白い。
 次に嶋本昭三。大砲絵画(絵の具の入ったビンをキャンバスに向かって発射して描く絵だそうで)は、なんか突き抜けてるなぁと。
 そして、全く知らなかった九州派と呼ばれる一連の人たちの作品。九州派というのは、作品中にコールタール、アスファルトに使用するのが特徴だそうで、火を放って仕上げる!なんて荒業もあったりで、いやー、九州男児って熱いな〜〜〜と思っていたら。
 アスファルト、コールタールは炭鉱を象徴するものでもあり。活動していた時期も労働争議が盛んだったころだそうで。うーん。
 そんな中、ちょっと異色だと思ったのはアナ・メンディエッタの写真。学内で起きた女生徒のレイプ殺人事件に衝撃を受けて作ったという、自身がレイプ被害者に扮したシリーズ。女子の立場にしてみれば、ただただバイオレンスで、スプラッターで、ホラーだということをハッキリと示していて。レイプにロマン?というか、幻想のある勘違い男子は、これでも見とけと言いたい。
 対照的にオットー・ミュールの "klarsichtpackung" は、裸の女性の身体を縛り上げて、ビニールに包んで、汚物のような絵の具や食品をぶちまける…といった行為そのものを写した写真作品。
 女子として気分のいいものではないですが、汚したいという願望を認識した上で、正直にあらわしているだけ、好感が持てるというものです。一番いやなのは、イヤよイヤよも好きのうち、だからいいだろ?とか、痴漢にあうのは、挑発的な格好してるのが悪いみたいに、そっちの願望をこっちの落ち度であるかのように摩り替える発想。