アローマ 匂いの文化史 

 アローマ―匂いの文化史
 西洋を中心にした匂い文化の社会的役割の変遷。日本人である私にしてみれば、現代の西洋人も「強い匂いが好き」に思えるのだが、本書によると「匂いは周縁に追いやられ、押さえられて」「中心にいる権力者は無臭」らしい。そうか、そうなのか。アメリカに本社がある会社で香り商品のマーケティングをしていた時期があった。本社から日本でも展開せよと送りつけてくる商品は、きつい匂いばかりで「こんなの日本じゃ売れないよ」と思いながら仕事をしていたのだが、よくよく考えるとそれらの商品は本国では「超普及品」。別の言い方をすれば「低所得者層」に向けた商品なわけで。皮肉なことに、本社から来ているアメリカ人は高給取りばかりで、自社商品をご自宅用として使う雰囲気ではなかったな。それでもまぁ、「無香空間」とか「ムシューダ」などというネーミング商品がある国の感覚で計れば「無臭」と言っても、ちょっと感覚が違うと思うが。翻訳って難しい。
 「匂い」なんて素朴な感覚も、いや素朴だからこそ古代から、権力者とそうでない人、お金持ちと貧乏人、男と女という南北問題?が、よい匂い、悪い匂いの基準に想像以上に影響を与えていることが分かる。科学的に分析して、その匂いが悪臭かどうかは関係ない。また現代は、視覚よりも嗅覚の方が一歩先に「マトリックス」の世界になりつつあるのだなぁと。バーチャルリアリティ。本物よりも、作られた香りの方が本物らしい世界。それに気がつかないで暮らしていること。
 そんな難しい話はともかく古代の章では、豊かな香り生活の事例が数多く紹介されていてうっとりする。

ギリシアの男性の香り使いの例(詩):
 …足と脚を 
 濃厚なエジプト香油で塗りたくり、 
 あごと胸は濃い椰子油 
 ふたつの腕はミントの香り、
 まぶたと髪はマジョラム、
 ひざと首はタイムの香り

 歩く香料箱ですな。

 料理人が宴席で自分の作った料理について話はじめる。
 「これはただ薔薇とよんでおります。みなさまに花冠*1をつけていただくだけでなく、からだの中にも薔薇を入れていただいて、からだ全体で贅沢な宴を楽しんでいただこうという趣向でありまして。これには、いちばん香りの高い薔薇を突いてたたき、それを禽と豚の脳の中に入れてゆで、すじをきれいに取ります。それに卵の黄身と油、ピクルスの漬け汁、ワインを加え、胡椒をふりまして…」

 アヤメの香油とか、現代にはないが当時は人気だったという香りも紹介されていて、興味をそそられる。コロッセウムや大きな集会場では花を撒き散らしたりして、香りがふんだんに使われたのだそうだが、それは貴族も庶民も奴隷も香りで一体感を味わう効果があったという。中世になるとキリスト教の禁欲主義のおかげでちょっとつまらなくなる。
 現代では、香水の見本として紙にサンプルを吹き付けて嗅いだりするが、アメリカの対空ロケット砲の広告(敵のヘリコプターを打ち落としている写真)に、「勝利の香り」とコピーがつけられた爆薬の香り(の見本紙)が添えられている(た?)らしい。爆薬の香りで売り上げアップ!?っていうのもね…。

*1:招かれた客は、ユリ、すみれ、ヒヤシンス、りんごの花、ローズマリーなどよい香りのする花や葉で作られた花冠をつけて出席する習慣があった。悪酔いを防ぐとされていた。