めぐりあう時間たち 

 3人の女がいる。2人は卵を割り、1人は卵を割るメイドを眺めている。1人の女は美味しそうなかに料理を作り、1人の女は青紫色の(なんてグロテスクな!でも、それはレシピ通りの完璧な)バースデーケーキを焼き上げ、もう1人の女は料理を作るどころか、何も食べたくないと言う。1人の女は大切な人のために花を買い、1人の女には身重の体を気遣って、自分自身の誕生日の花まで先回りして用意してくれる夫がいて、もう1人の女は花に見向きもしない。1人の女は小説を残し、1人の女はその小説を愛読して作家のように生きようとし、もう1人の女は小説の主人公さながらに生きる。そういうお話。
 ニコール・キッドマンのどうにも世の中と折り合いのつけられない苛立ち、ジュリアン・ムーアのボロボロと心が崩れていく感じ、メリル・ストリープの長年に渡って積もり積もった報われない虚しさがそれぞれよく出ていて胸がつまる。かなり重い。
 けれども観終わった後、私は「花を買いたい」と思った。「ダロウェイ夫人」のように、さっそく明日買いに行くことにしよう。映画のように、ボリュームたっぷりの生き生きとした花を。何があっても「自分らしくある」物語を続けなくては、そう思える映画だ。