環境が先か、性格が先か

 新居はとても快適。以前よりも1.5倍くらい広い上、日当たり抜群。
 高校のグラウンドのすぐ裏で、野球部やらサッカー部やらの早朝練習の野太い掛け声(ぉいとぉおおおお!!=多分、ファイト!と言ってるんでしょう、とか)が、ガンガン聞こえてきて当初はびっくりした。それにも既に慣れてしまい。
 2階建て以下の戸建て住宅地の中のマンションなので、彼らの早朝練習と土日の練習を除けば、基本的にはたいそう静かなところだ。
 直前まで前の方が住んでいた関係で、どんな間取りかも知ることができず(この辺が社宅のつらい所の一つ)、どーなることやらとかなり不安でしたが、フタをあけてみれば、中々いいところでした。
 居間の掃きだし窓がちょっと普通にない大きめの規格サイズで、カーテンをオーダーしなければならなかったところは、結構、痛手。だが、おかげで日中の部屋の中の明るいことといったらない。
 ただそうなると、家中のいろんな汚れが気になってしょうがなくなる。
 「白日の下に晒される」という言葉があるけれど、太陽の光に照らされるとどうしてこう、目立つんでしょうか。不思議不思議。*1
 前のところは、東南の向きではあったけれど、日はそれほど奥まで差し込まず、朝の一時を除けば、なんとなーく薄暗い部屋。
 なので細かい汚れなんて全く気にならなかった。というか、気付きもしなかった。今は冷蔵庫のドアのちょっとした手垢とかまで光ってしまって、目に付いて仕方ない。
 そういうわけで、以前はかなりズボラでお掃除嫌いだったのに、ここ一ヶ月くらいは人が変わったかのように、きれい好き。いや、ようやく世間並みになったのか。
 言い訳をするならば、私の性格は多分、モノがあふれていたりすると、それだけで掃除が嫌になってしまうのかもしれない。
 引越し前に、間取りがよく分からないこともあって、思い切ってかなりの量のモノを捨てて身軽になった。
 環境問題の観点から「もったいない」という言葉を世界語に、という動きもあるらしいですね。けれども、私の場合「もったいない」で約10年間、結局のところ不用品を溜めていたのが、かえって精神的によくなかったように思う。うーん。人間って罪深い。環境を汚さなければ、生きていけない。
 また今は、日当たりがいいだけでなく、とにかく広い。だから、比較的家具の配置等も動線に沿って置くことができて、家事がスムースになった。日常の小さなストレスの積み重ねも、馬鹿にできないものだなと、シミジミと。
 もしかしたら、一時的な現象で終わってしまうのかもしれないけれど、とにかく今は、苦もなくお掃除をしている。
 自分というもののあやふやさ、というか、仮に「自分はこうだと思う」という考えがあったとして、それは本当に自分がそうだ、そうしたいと思っての考えなのか、他人の(育ちとか、何かの本を読んだからとか、周りの環境とかの影響による)考えなのかを、疑うことがシバシバある。
 例えば、江戸時代に生きてたら、そう思うのかなぁとか。
 これ、突き詰めると生きるのがつらくなってきそうなので、あまり深くは考えないようにと心がけているのですが、ここしばらくの自身の劇的変化?に改めて、極めていい加減な存在だなと思い知る。まー、お掃除好きになるというのは、いいことなんですが。

*1:もちろん、本当は違う意味でしょうが。