ダンスは縮図

ダンス部のことなんてすっかり忘れていたのだけれど、後になって色々なことを思い出す。

腰を痛めてやめたというのは本当。けれども、本音は別のところにありまして。
競技ダンスというのは、競技会においてほとんど男性しか評価の対象にならない。腰に爆弾を抱えながら続けたところで、勝負はパートナー(ダンスの世界では男性をリーダー、女性をパートナーと呼びます。)が上手かろうと、そうでなかろうとリーダー次第というのが、どうもイヤだったなぁということです。
なぜ、そうなるかと言うと、そもそもダンスにおけるパートナーは、リーダーのリードがないと踊れない仕組みなのです。ほとんどのステップというのは女性の立場からすると、全速力で後ろ向きに走りづ付けるようなもので。方向の舵取りや、次のステップを何にするかはリーダーの判断のみで決まるし、リーダーががっちりパートナーの体をホールドしているのでリーダーのポイズ(踊るときの姿勢)が悪けりゃ、パートナーもポイズが保てない。全く男性がしっかりしてなきゃ始まらんのです。それ以外にも、ダンス(部)には色々な男女格差?があったことを思い出して、考えたこともあるのですが、それはまた別の機会があれば。
ただ。
そんなことを考えていたら偶然にもこんなコメントにめぐり合いまして。
http://d.hatena.ne.jp/sayuk/20030911#p1
懐かしい。当時、部室に置いてあった『PARTNER』(少女漫画)をすっかり思い出しました。
そして、同じ競技ダンスという素材を扱っても、男性監督による男性を主人公にしたダンス話が『Shall we ダンス?』のような奇麗事ファンタジーになる(憧れの美人先生も、奥さんも皆、自分について来てくれる)のに対し、女性作家による女性が主人公になったダンス話『PARTNER』は、華麗な絵柄に反して、すごいドロドロ話というか、男女の意識のズレ、勘違いぷりをトコトン露呈する話になるのも、どうしたものかと。

因みに、映画『Shall we ダンス?』で草刈民代演ずる美人のダンス教師に、かつてブラックプールにエントリーしたけれど、リーダーを無視して自分の踊りをしようとしてダメになってしまった…なんてエピソードがありました。謙虚さが足りなかったわ、力をあわせない私は傲慢だったわ、みたいな精神論的な扱いだったけれど、実際問題としてパートナーはリーダーの指示通りにスムースに動くのが基本中の基本であとは技術の問題。そこのところを女性の心根の問題に摩り替えてるところが監督のファンタジーを感じるのですよ。