ウィリアム・クライン『PARIS+KLEIN』写真展/東京都写真美術館

パリをパチパチスナップしてるわけなのですが、エッフェル塔が写っているわけではなく、人、人、人ばかり。普通のおばあちゃんから大統領、ファッションデザイナー、ホームレス、社交界デビューのお嬢様、デモ学生、アラブ人、黒人、中国人、ゲイの人までありとあらゆる人々が。こうしてみると改めてパリって、NYと同じくらい多様性のある、というか混沌とした街なのだなと。
観光案内のような、キレイなところを並べているわけではないけれど、力強いエネルギーみたいなものがある。そのパワーは、人物の表情プラス、写真家の抜群のカラーセンス(写真の発色のさせ方とでもいうか)でさらにいい具合に強調されている感じ。混沌とした色の洪水とパリに住む人々のパワーはどこかでつながっている気がする。
また、フィルムをそのまま焼き付けて、原色ペインティングを施した作品は、とてもキレイ。こういうのはバランスが難しいと思うのですが、写真から浮いてなくて一体となっていて、さすがです。
美術館内の図書室で64年に出版された彼の写真集『東京』を見ました。なんだか、つげ義春のマンガのようでした。
わざとコントラストを強くし、白い部分と黒い部分がハッキリと分かれているというせいもあって看板や貼り紙が浮かび上がってくるあたりとか『ねじ式』みたい。ちょっと現実離れしてる。いや、写真なんで現実なんですが。
でも何より、この写真撮っているときは少なくとも日本人のことを、猿というより、異星人かなにかだと思ってたんじゃなかろうかと思えてくる。つげ義春のマンガに出てくる人は、皆、どこか妖怪じみてるように思っていて、『東京』に写ってる日本人も、全員とは言いませんが、生身のくせにそんな感じに写っている。それほど、この写真の中の日本人はどこかシュール。とはいえ、さすがに人間は『ねじ式』というより『ゲンセンカン主人』って感じか。やっぱり、違わない?とにかく、この人、日本人に異質なものを感じてるんだろうな。他の『ローマ』とか『ニューヨーク』とかの作品と比べてしまうと特にそんな気がする。
でもこうしてみると、今の日本ってツマラナイ顔した人が多い。異星人でも昔の日本人の方が面白い。エネルギーに満ちてる。正直言ってこれと比べちゃうと、最近の日本のスナップ写真ってツマラナイ顔した人をツマラナイ心で撮ってるんじゃないかと思う。だからツマラナイんだ。見てる方も。

同時に坂田栄一郎・天を射るという展示も見たのですが、多分、この方はとても人柄がいい方なんだなと。有名人を正面から*1捉えたポートレートに、その人をイメージした自然写真を組み合わせるという展示方法で、人柄を反映した、穏やかな写真でした。
けれども、私の記憶に残るのはウィリアム・クラインの方、多分。

*1:写す角度じゃなくて、写真家の姿勢として