手塚治虫とヒューマニズム

 その松永クンのコンサートで配られていたフリーペーパー「DI:GA」に載っていた陰陽座なるビジュアル系ヘビメタバンドのコラム「これはしたり」より、長い引用。

 手塚治虫という漫画家は、あまり興味のない人からすると「1.漫画の神様」「2.愛とヒューマニズム」「3.子供向け漫画の巨匠」といった程度にしか認識されないものだと思います。(中略)そして2ですが、これが最も手塚漫画に対する誤解だと思います。はっきり言って、手塚作品は「愛とヒューマニズム」のオンパレードです。これが入っていない作品はないといっても過言ではないでしょう。では何故それが間違った認識になるのか。愛は愛でも、ただ単にお題目としての「愛」ではなく、「愛」とは何かを問うその厳しい視点。ヒューマニズムという言葉を曲解している人々への、本物のヒューマニズムのカウンターパンチ。試しに「ヒューマニズム」という言葉を辞書で引くとよく分かります。ヒューマニズムとは「人類みな兄弟」とか「世界中が無条件に平和でありますように」という意味などではありません。一言で言うと「人間的なことを尊重する思想」です。つまり、手塚作品に於けるヒューマニズムとは、美しかったり醜かったり清らかだったり薄汚れていたり誠実だったり悪辣だったりする全ての人間的で根源的な部分をひとまず「それが人間なのだ」と尊重することから考えるということなのです。

 まんまとやられてしまいました。私は結構な数の手塚作品を読んでいるつもりでいたので

はっきり言って、手塚作品は「愛とヒューマニズム」のオンパレードです。これが入っていない作品はないといっても過言ではないでしょう。

 この箇所を読んだ瞬間「そりゃーないだろ!」とつっこんでしまったのだ。一般に知られている作品はともかく、彼の作品は無名の短編まで含めると、かなりの割合でどうしようもなく救いようのないオチとか、悪いヤツが悪の限りをつくしたまま、逃げ切ってオシマイとか、読後は人間不信に陥るしかないようなのとか、トンでもない話がかなりあるのに、と。(もちろん、それはそれでとても面白い話であるが)
 けれども

ヒューマニズムとは「人類みな兄弟」とか「世界中が無条件に平和でありますように」という意味などではありません。

 ヒューマニズム。辞書を引いたらこんな結果でした。単純に「人間的なことを尊重する思想」と括れるものかどうかは、辞書を引いたくらいでは分からないのですが、確かに私は「ヒューマニズム」を「曲解している人々」の1人だったと言えそうです。なんだかよく分からないけど、人として正しい道をとること=ヒューマニズムとぼんやりと考えていたので。分かっていないのは私なのでした。
 もちろんその後に続く手塚作品についてのコメントは、全くその通りだなと思った次第なのです。

 追記:
 百科事典「マイペディア」によると「ヒューマニズムは、人間を真に人間的たらしめている本性(人間性)を尊重し真に人間的な社会の実現を目指す理想主義的立場である。従ってヒューマニズムは、人間性からの諸欲求とその創造的表現たる芸術・道徳・宗教・科学などを、それらを抑圧する政治・経済的束縛から解放し正しい発展・実現を目指す」だとか。
 でも、ポピュラーなわりに意外に分かりにくい正体不明?なのが「ヒューマニズム」という言葉だなぁと。これはちゃんとした本を読まねば、コレと言った結論は出そうにない。ちょっとネットで調べただけで、いろんなヒューマニズム(解釈)があるし。