ノンセクトラディカル 現代の写真Ⅲ/横浜美術館

ちょっと期待ハズレ。もちろん、これは私がそうだっただけのことで、世の中の評価は違うのかもしれない、とは思う。
露口啓二という人の、地名と写真シリーズはなるほどと思った。北海道の地名はアイヌ語の音が元になっているところが多いが、使われる漢字は当て字。アイヌ語の意味とは全く関係がない。そのアイヌ語源の土地の今を撮影しているのだが…でも、写真という手法でそれを伝えなくてもいいんじゃないの?という素朴な疑問も。
全体的に美よりも、理屈ありきと感じる作品が多いのが、私のツボではなかったということか。いや、私が勝手に理屈っぽいなと感じてるだけなのか。(弱気)
ただ、奈良美智の写真(スライド上映)には、理屈は感じなかったのだけれど…。アフガニスタンの小さな子供たちがテーマ。絵にも通じる淡々としたイノセントさを抽出したような雰囲気で、素直にかわいい〜きれい〜(絨毯の色使いなど)と思っていいのか、悪いのか。読み捨てられるグラビアのようで。松本伊代の歌じゃないけど。理屈がなさそうな分、戸惑ってしまった。それとも、それこそが作者が意図した、絵にあって写真そのものにはない毒の部分なんでしょうか?考えすぎですか。
また、立派なブースまで用意したのに「上映が法に触れる恐れがあると判断しましたので中止いたします(by 横浜美術館)」という映像作品があった。高嶺格の「木村さん」。障害者の性がテーマで、射精シーンや性器が出てることが理由のようだ。少なくとも企画段階で、判断できなかったのだろうか?というこれもまた素朴な疑問が。最終的に警察に相談して決めたと言うのもテーマが「ノンセクトラディカル」だけに何だかなぁと。中止に対する批判も含めた関連記事を張り出してあることが、美術館側のせめてもの良心なのだろうか。
コレクション展の20世紀初頭のドイツ系の静物写真シリーズが面白かった。卵、鶏、手袋、ボタン等々、身近なものの組み合わせなのにシュール。
なぜか、館内の壁面の至るところにある汚れが気になってしまった。正確には過去の展示で出来てしまった汚れ、剥がれを補修するために白く塗った跡。壁の白とは微妙に違うものだから、汚れのように見えるということなのだけれど。もうちょっとキレイにカバーできないのだろうか。またしても素朴な疑問。
サイト:http://www.yma.city.yokohama.jp/nsr/info/index.html