その時は

 トイレから出て居間へ戻ろうと足を踏み出したら、足元がフラつくのに似た変な感じがした。あれ、貧血かな?と。


 居間に入るとオットが両手で食器棚の扉を軽く押さえながら立っていた。それで「やっぱり、地震か」と納得。マンション全体がぐにゃ〜り、ぐにゃ〜りと大きく横に揺れていた。

 しばらくの間、揺れ続けて、多少、壁の中の何かが軋むような音もあったのだけれど、倒れたのは壁に立てかけてあったアイロン台だけだった。


 窓から外を見ると、まだ揺れは続いているのだが、隣の家のおばあさんが玄関から飛び出して一目散に駈け出し、道路に出たところでハタと我に返ったのか、家の中にゆるゆると戻っていくという一連の流れが目に入ってしまった。


 外を見たのは、このあたりには失礼ながら当初、人が住んでいるとは思えなかった木の板とトタンベースの老朽化した住まい(温暖な地域ならともかく冬は大雪が降るのに!)がところどころにあって、そこは大丈夫なのだろうかと思ったからだった。とりあえず外見上は大きな変化はないように見えた。というか、元々歪んでいるようにも見える状態なので本当のところはよく分からないのだが。


 テレビのニュースで徐々に一関が大変な状態だと知る。矢びつダム脇の道路が倒壊している映像が割と早い段階で繰り返し流れた。それは今いる地域と一関をダイレクトに結ぶ国道で、ベイシーに行った日にもダム周辺には行った。やはり山道は恐ろしい。

 
 愛知の母親から電話が来た。秋田も湯沢の商店街の1部のお店の壁が崩れたとか、山内の小学校の体育館の天井が落ちたとかのニュースで大変だと思ったらしい。私もその映像は見ていて、確かにそれらは被害ではあるのだけれど、一関の状態と比べると、ちょっと報道の仕方が大げさかなぁというのが印象。午後、車で湯沢に出かけたが、商店街も表面上はいつも通りといった感じだった。湯沢に続く国道も普段と同じぐらいの車の交通量。


 同じく愛知の同級生からの一応、大丈夫かメールが届く。私たちは子供のころから、いつか東海大地震がやって来る来る!とおどされて、学校では避難訓練等々を散々やらされて、年寄りからは伊勢湾台風とか、三河地震の恐ろしい昔話を聞かされつつ育ち、ある意味、心の準備だけは万端?なのだけれど、何故か外れて他のところにばかり災害がいってしまって、どうなってるんだろうか、という内容。