[Memo]「さくら」という名の猫についての覚書

 約22年前に我が実家に彼女がやってきた経緯というのは、その半年前に茶々丸という名の猫が死んだことから始まる。茶々丸は、ずいぶん社交的な雌猫であり、大変モテました。猫嫌いだった母もすっかり気に入ってしまうほどの愛嬌もあった。それが祟ってか2歳半の若さで夜遊び中の交通事故死。死んだという報告をしてくれた母は、そのまま電話口でオイオイと泣き続けて会話にならなった。

 そして半年後の春。母が子猫を拾ってきた。あれほど死んで哀しい思いをするのなら生きものは二度と飼わないと言っていたのに。以下は、記憶に残っている母の言い分。

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 買い物のためにほぼ毎日、自転車で通る川があって、ある日、子猫5〜6匹が川を挟んで反対側の並木の1本につながれているのが見えた。近所の知的障害のある男の人が首に縄をかけて縛っていた。餌の入れ物もあったから、多分、世話をしているつもりだったんだと思う。でも、犬ならともかく猫を縛りつけ続けるのは無理なこと。自力で逃げたのか、誰かが逃がしたのか、引き取っていったのかは分からないけれど、紐だけ残してだんだんと子猫は減っていった。いなくなるたびに男の人は、しばらく「ウォォー!ウォォー!」と大きな叫び声を上げて辺りを探し回っていた。彼なりに可愛がっていたのだとは思う。でもその様子はすごく怖かった。


 それでとうとう残りは1匹になった。彼も姿を見せなくなってしまった。何日か様子を見ていたが、そのまま。ある日、あの彼にも見捨てられたのか…と思うとたまらなくなって、気がついたら猛ダッシュで自転車かごに入れて連れ帰ってきてしまった。猫グッズは茶々丸のものが取ってあるから今すぐ飼える、と。

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 その猫は桜の木に縛り付けられていたメス猫なので「さくら」と名付けられた。


 家で飼うなら取りあえずシャンプーをしようと、ぬるま湯の入ったバケツに首までを沈めると突如、下の方から黒いものがザワザワっーと上がってきて、あっという間に眼と鼻と口の周りを残して顔が真っ黒になって驚いたよ、茶々丸の時からシャンプー係だった父は、時々笑って話す。体中についていた蚤が溺れまいと慌てて顔に集まってきたためらしい。そして、この猫の右前足がおかしな状態であることにも気がついた。


 シャンプーをしてこざっぱりしたところで、父は動物病院に連れていった。獣医は、先天的ではなく、生まれた直後に事故にあったかで、右前足首が内側に曲がってしまったのだろうと言った。続けて、この足首は既に完全に固まってしまっているので治らないし、膝から下の神経も切れてしまって感覚が既にない。この不自由な右前足は将来を考えると肩の付け根から切断した方がいい、責任を持って飼うつもりなら、手術費用は要らないよ、とまで言ってくれたらしい。


 しかし、父は切らない方を選んだ。この選択は正しかったのかどうかは分からないが、幸いなことに獣医が心配したようなトラブルは起きなかった。不自由ながらもトイレの後の砂かき等、器用に使いこなした。ただし生涯、右側をカックン、カックンと落としながら歩くことにはなった。

 
 獣医はもう一つ「この猫は、生まれつき背骨が一つ少ない。骨格も華奢。つまり元々、弱い体である。足も(切断するしないにかかわらず)不自由。可哀想なことではあるが、長生きはできないでしょう」とも言ったらしい。


 そんな始まりであったはずだが、同じ獣医さんにお世話になりつつ、なんだかんだで22年。その動物病院で最も長い顧客になってしまった。


 茶々丸と違い、猫の友達は1匹も作らなかった。家の敷地からは動物病院に行く以外は一歩も出ず。外に連れ出そうとすると狂ったように暴れだすから。また、家に誰かが来ると、一目散に2階のベッドの下に隠れてしまうので、親戚でも彼女の姿を見た人は限られている。狭い我が実家の中で、家族とだけ過ごした。


 死んだことを報告してくれた電話で、母は泣いてはいたが「これから忙しいの」と言った。「お供え用に、まぐろとカニかまぼことトウモロコシ*1買いに行かなきゃ」「哀しいけど思い出がたくさんあるからね、やってあげたいことがいっぱい思いつくの」


 偶然にも半年前に知り合いから桜の苗木を譲りうけ、庭の隅に植えていた。まだ50cmぐらいの小さな木。火葬を終えて残った骨をその木の根元に埋めたらしい。桜の木の下で拾って、桜の木の下にかえっていった、そんな猫の一生。




*1:茹でトウモロコシ、特に芯が好きな変わった猫でした。