自由の牢獄

- 作者: ミヒャエルエンデ,Michael Ende,田村都志夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/09/14
- メディア: 文庫
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エンデを読むのは20年ぶりくらい。短編集『鏡の中の鏡』以来か。それぞれ独立した話なのだが、全編を通すと緩やかな繋がりがあるようにも見えるところは『鏡の中の鏡』と似ている。現実と非現実の挟間(またはパラレルワールド)で生じたような物語。
「空間」をものすごく意識させられる文章だと思う。右から左、前と後ろ、歪んだ奥行き感といった「空間」の描写が多い。脳内でイメージしながら読むと、それだけで普段使わない筋力、じゃなくて脳力を鍛えられるような錯覚。
タイトルになっている「自由の牢獄」がイスラム世界を舞台としているのは、まぁ一種のスパイスみたいなもので、エンデの属する無意識レベルまで染みついたキリスト教的世界観がベースと考えてもいいのかもしれないと思う。比較的寛容なイスラムの神様があそこまで人間を厳しく追い詰めないんじゃないかなぁと。直接、主人公を追い詰めてるのはアラーじゃなくてイブリーズ(悪魔)だけど。
数多くの人生の選択肢の中から一つを選びとるとき、何らかの理由(情報)を元に決めるのが通常だけれど、選びとるという決断は何に依るものなのか。この話の中では、ギリシア哲学は「自由意思」、イスラム教は「神の御意」。で、徹底的に突き詰めていくと「自由意思」ではあまりにシンドイ。耐えきれない。よって「神の御意」が発明されたのかな、と。(←かなり曲解)
確かに「自由意思」はシンドイかも…。それで神はいないが歴史だけは長い美しい国日本では、ご先祖様、前世で縁のあった(らしい)故人を守護霊・指導霊と格上げして、彼らからのメッセージというイタコの言葉におすがりするのか。ああ、スピリチュアルカウンセリング。
「自由意思」も「神の御意」も「(今様)イタコの言葉」も、運命には何がしかの「必然」が付いてまわるという発想であるような。それならば、YUKIの「JOY」じゃないけど、♪運命は必然じゃなくて偶然で出来てる〜♪*1 の方が、ずっとセクスィーではないかと思ったり。どの世界にも疎い私の戯言ですが。
そしたらイブリーズに「ではその偶然は誰によるものなのか」って責められるのか。うがー。
*YUKI「JOY」
改めて、ヘンテコなPVだな…。
*1:最近のライブでは♪運命は必然のような偶然で出来てる♪と歌ってるとか。