賢治祭・前篇

 花巻の宮沢賢治記念館とイーハトーブ館の間の傾斜地に昼間でもやや薄暗いブナの木立がある。そこでしゃがんでいると


「栗拾いをしてるの?」


 下のイーハトーブ館の方向から声がかかった。品の良さそうな年配の女性だった。


「いいえ、栗拾いではなく、写真を撮っているのです。白いキノコの。どんぐりは落ちてますけど、栗はここにはなさそうです」


と返事をしたところ「そのキノコは食べられないわ」と言いながら、彼女はどんどん近付いてきた。


「今ね、私、そこ(イーハトーブ館のホール)でね、朗読を聞いてきたのよ。そうよ、賢治の作品の朗読会があったのよ。知らなかったの?あなた、どこからいらしたの?秋田?遠くからね。夜の賢治祭のために来られたの?私は花巻よ。ずーっと花巻。でもね、こういう(宮沢賢治関連の)イベントに参加したのは今日が初めてなの」


「近すぎるとね、何だかいやなものなのよ。親戚、知り合い色々と…とても近いの。例えば…私のおばさん、日本女子大を出られた立派な方だったわ…彼女はね、トシさんとお友達だったの。それでね賢治といえば、トシさんと同じ赤いチョッキを着てたり、なんて人なんでしょうみたいな…つまりはね、今の言葉でいうなら“変人”*1だったのよ。昔はね、この辺りで彼は相当な変人と思われていたのよ。色々な話を聞いてきたわ…」


「だから、彼の作品をあまり読んでこなかったの。それにね『風の又三郎』って、暗い話だと思わない?いやだわ、ここ(花巻)って、そんな暗いところかしら?とか」


「『雨ニモマケズ』なんて、お金持ちの質屋のお坊ちゃまが何言ってんのかしら!とかね。まぁ彼は最初っから家は継がないって宣言してたようだし、お家にお金を借りに来る人たちの生活を覗いてて、ああいう詩を思いつけたのかもしれないけど」


「それに星のことは『星』って書けばいいのに、なんでしたかしら、スタ?スター?……あらいやだ、ちょっと言葉がはっきりしないんだけど*2、難しく書くところとか、なんだかねって思ってしまって、好きになれなかったのね」


「でもね、今日、朗読を聞いて本当に感動したの。文章が、キラキラした言葉でちりばめられて素敵だった。来てよかった」


「改めてちゃんと聞いたらね、今の人の気持ちに近いのかしらと思ったの。“時代が追いついた”って言うの?中身が早すぎたのかしらねって。昔は全然分からない人ばかりで」



「朗読会は、参加者は色々いたけど…そう、地元の人よりも九州の人のが1番素晴らしかった。毎年、バイクで参加してるっていう人。とてもお好きなのね、きっと。他の人と違ってて作品を暗唱しててね、紙とか見ないの。体から言葉があふれてる感じがして…やっぱりね、遠くの人の方が分かっていらっしゃるのかしらって思ったの」



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「…ところで今、何時かしら?」



すると突然、木立の脇にある小屋の後ろから


「4時45分です」


と返事がかえってきた。声と同時に地味なうわっぱりを着た職員と思しき女性がするりと出てきた。


「あら、私、バスの時間があるから、これで失礼するわね」


 イーハトーブ館の前でこの年配の女性と手を振ってお別れをしたのだった。


 はー、どっとはらい


*3

*1:変人という言葉はこの後も話の中に何度も出てきた。

*2:このフレーズも何度も出てきた。たぶん、夜空や星の描写をするのにマゼラン星雲やらの当時としては聞きなれない天文言葉や、難しい鉱物の名前で表現するのに対して違和感を覚えてたのかな…と勝手に推測。

*3:ブナの木立で試し撮りしていた白キノコ。ポラロイドピンホール×モノクロ。