花物語〈中〉
弥生美術館の女学生ライフ展で、いくつかの少女小説の展示があった。それで俄然興味が湧いて少女小説界のカリスマ(?)、吉屋信子の代表作である『花物語』中巻を購入。「ダーリヤ」「桜草」「向日葵」とそれぞれ花の名前がついた12話の短編集。あまりのおもくろさ*1に一気読み。
現代において、それは「お笑いのネタ(それも、どっちかというと失笑。)」にしかならないようなエピソード満載。ああ、女学生とはなんと、唐突で過剰な反応をなさる方々なのでしょう。あの東海テレビ製作の昼ドラでリメイク*2されるのも道理というもの。美文調の文章も、格調高いといえばそうだけれど、悪い意味で浮世離れした、やや鼻持ちならない感も時としてはある。
にもかかわらず、読後感は
「かなりせつない」
でした。吉屋信子センセイの内面の葛藤みたいなものが感じられて。
以下はちょっと意味のない深読みかもしれませんが…
吉屋センセイは、今様に言うならば「自我」を持った、賢い女子がお好きなのでしょう。ヒロインだけでなく、登場する女学生はみな、そんなタイプ。
収められている12話は、そんな女の子たちが破滅する、努力の甲斐むなしく悲劇に終わる、または、その後の不幸せを予見させるのようなのがほとんど。そうでないのは、登場人物が全て在学中に終わる話に限る。つまり、吉屋センセイ的女子の世界観は、学校を出たらお仕舞いってこと?
「自我」なるものにおぼろげながらも目覚めた女の子が集団で現れたのは、このお国の場合、“女学生”が始めてではなかろうかと。もちろんセンセイも元女学生。
例えば、入学試験を受けるということ。そんな今では誰も何も感じないような出来事も、他人との競争の初めての経験ということで、女の子は自分と他者について意識する。
または、外国語やら欧米文学の授業を通して、何となくその概念に触れることになったんではなかろうか…という感じ。「自我」そのものを教えられたり、学んだわけではない。
なので女学生同士、または女学校の若い女の先生との間ではその気分は共有できても、親にすら理解できない。和装の着付けは出来ても、洋装の着こなしは母親も娘に教えることはできない。
その上、相変わらず女学校を出たら即、お嫁入りして、「自我」を押し殺して先方の親や夫に仕え、子を生むことを期待されるだけの身。*3女学生とは4〜5年の期間限定のつかの間の自由の時代。*4
ボンヤリと自我なるものに目覚めたのはいいけれど、それが何なのかも分からず、周りにも理解されず、教養はあっても世間知らず、その上、若さゆえの勢いもあいまって、ああなるのかな…と。命短し、ハジけろオトメ。
で、『女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)』の嶽本野ばらの特別寄稿によると、吉屋センセイが打ち出されているのは「女子も自我を持って当然です」という強いメッセージだということなのですが、うーむ。
吉屋センセイの真のお心を、一冊読んだだけで語るのはおこがましいというもの。それは分かりません。
ただ、ことごとく登場人物たちが不幸せになっていくので、美しい物語に紅涙を流しつつも、当時の普通の女学生は
「なんだかんだいっても流れに任せて、おとなしくやってくのが一番よね」
と、受け取ってたんじゃないかなと。吉屋センセイ、意図せずして、逆のメッセージを発してた可能性も。一人、アメリカ留学を果たし、消息不明になった元女学生のその後の姿も、みすぼらしく描かれて。彼女としては、それはそれで幸せな生き方であると、言うことも可能なのに。
あ〜、思い出した。もう一つのパターン。それは「献身」。誰か(何か)への献身を持って、私の生きる道とする。美しい志。けれど、それも、結局、従来の「嫁ぎ先」「夫」「子供」が置き換わっただけともいえそう。自身が主体的に何者かになろうという気概はない。
「自我」を持った女の子の成功物語を描かなかったのか、描けなかったのか。吉屋センセイ、この本を書かれたときはまだ弱冠20歳。女学校を出て3年。自分でも成功イメージがもてなかったのか。女の子の不幸せを呪うほかなかったのかな。まだ。