ルーヴル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義からロマン主義へ/横浜美術館

 ルーヴル美術館は、言うまでもなくものすご〜〜〜〜い所蔵品の数を誇る世界最大級の美術館でありまして。数が多いということは、必ずしも有名なものだけがあるのではない、ということ。

 ゴッホ展なみに盛況だと聞いていたこの企画展、目玉といえるものはアングルの『トルコ風呂』と『泉』だけのよう。ルーヴルってだけで、こんなに人が集まってお金儲け成立。(>オマエモナー!)なんかかの国にしてやられてる感がしないでも。

 しかも、『泉』はオルセー美術館にあったんじゃなかろうか。なにか微妙にだまされている気がしないでも…と思っていたら、こんな記事(日々雑録 または 魔法の竪琴:http://kniitsu.cocolog-nifty.com/zauber/2005/02/post_4.html)が。

 なるほど。元々、ルーブル美術館所蔵でオルセーに貸して展示してるのですね。

 それでも、19世紀フランス絵画を歴史画、時事的絵画、オリエンタリスム、動物画、肖像画、風景画、風俗画とコーナーとに分けて、それぞれどんな背景から生まれて…と分かりやすくお勉強させてくれるあたり、さすが横浜美術館だなと。*1逆にルーヴル行っても、壁面にこれでもか〜これでもか〜と言わんばかりに、絵画をベタベタと埋めているだけで、解説はないです。

 とにかく、あそこは量で観る者を圧倒させるのが目的ではないかと。または「フランスってスゴイ。敵わない」と外人を骨抜きに洗脳するため、とか。(>妄想)

 2回も行ってて、未だ見ていない部屋がいくつもあって、この19世紀フランス絵画は、未見部屋の一つですよ。とほほ。

 アントワーヌ=ジャン・グロ『サン=ドニ聖堂でフランソワ1世の出迎えを受けるカール5世』という歴史画が、フランスっぽいなぁと。神聖ローマ帝国が最も栄えたときの皇帝と、まだまだそれほど強くもないフランス国王…という関係のはずなのですが、バルコニーから見守る貴族の中に、なぜかモナリザ風な美女がたたずむ。

 レオナルド・ダヴィンチの最後のパトロンがフランソワ1世でありまして、つまり後世これを描いたのは、美術館の解説から察するに「オラんとこのお殿様は、あのレオナルドの雇い主なんだぞー。神聖ローマ帝国、なんぼのもんじゃい!(超意訳)」という意図と思われ。は〜。

 風景画には先日のバルビゾン派が何点かあり、私はコンスタン・トロワイヨンが好みなんだなと確認。日差しを浴びた牛、ラブ。

 いつもの横浜美術館を考えると、平日にこの人手は信じられない光景。でも、平日なら普通に絵画を鑑賞できる範囲かと。ゴッホ展よりはずーっと空いてます。会場が広いせいもあるとは思いますが。

追記:
 他に面白かったのはフランソワ・ジェラール『プシュケとアモル』(誰が見ても可愛いカップルって感じ)、ジョセフ=ニコラ・ロベール=フルーリ『ヴァティカンの宗教裁判所に引き出されたガリレオ』(中央のガリレオの顔というか口元=今まさに自ら地動説を否定する言葉が発せられる瞬間に、視線が集中する自然な演出というか構成がスゴイ。教科書で観たことはあっても実物の迫力は別格。)、テオドール・ジェリコー『白馬の頭部』(馬好きの観察眼が講じて、どこかヘンな絵になってるのが可笑しい。多分、人間の顔(表情)みたいになってしまってるからかと。)等々。

 常設展の雰囲気は、やっぱり学芸員さんは「ルーヴル展」でいっぱいいっぱいでお疲れなのかな〜と。展示数も少なめだし。いつも割りと力はいってる気がしてるのですが、なんかこう抜けてる感じ。

 そんな中でよかったなと思ったのは川瀬巴水木版画「東京12題」シリーズ。広重みたいな目に鮮やかな色彩で江戸、じゃなくて東京の暮らしぶりが描かれていて。

 横山大観の「虎渓三笑」は、三幅の掛け軸にそれぞれ、慧遠、陶淵明、陸修静が一人づつ描かれ、三幅そろって一つの絵である一方、一つづつでも作品として完成してるところが面白かった。

*1:手持ちの少ない所蔵品を中心に、見せ方や切り口を変えて、年間4回くらいの企画展をやってるところも、やりくり上手さん。これは、いい意味です。素人に色んな見方を教えてくれる、という点で。