大正・昭和・女学生ライフ展 〜華宵、淳一の挿絵と吉屋信子の少女小説〜/弥生美術館

夢路のテキスタイルデザイン

 小さな私設美術館でしたが、ことのほか面白くて、大興奮いたしました。
 
 都市に住む、お金持ちの、家柄もよろしい、かつ家長であるお父様が比較的進歩的な考えを持っていらっしゃる*1大層恵まれた女の子、女学生(12〜17歳)たちのステキライフ展。

 とはいえ、17歳女子の平均が身長150.7cm、体重48.1Kg*2の時代なので、見てくれは今よりも、小柄でぽっちゃりとして子供っぽい感じ。

 かわいらしい便箋と封筒で、顔を合わせるクラスメイト同士であっても互いのくつ箱をポスト代わりにお手紙のやり取りをせっせとしてた…とか、独特の女学生言葉のくだりは、今の女子高校生が頻繁に携帯メールを打つこととか、オヤジ雑誌等で日本語の乱れと嘆きつつ、世代間のギャップを埋めるためうんぬんと解説されるギャル語と発想が似ていて、昔からやってることは変わらんな〜と。

 例えば、お手紙の最後に「小夜奈良(=さよなら*3)」と当て字を入れる、これは真夜中の公道を二輪車で爆走する、あの方々のセンスの源流では!?とか。夜露死苦!(嘘)

 他にも少女画報新年特別付録が「芸手 いしはさふに女少の後銃」(←右から読んでください)とあり、一体どんな手芸なんだろか…?とか、一方で別の付録、人生すごろくでは「富豪」か「貴婦人」のマスを通らねば上がることは決してできない仕組み。つまり、「貞操貞淑な奥様)」だけを賛美しているわけでもないところが意外。

 また女学生のマナーで、

お客様にお茶を差し上げるには最初にお煎茶、次にお菓子、それからお紅茶、その次にお番茶というのが正しいのです。

 日本茶だけじゃなく、お紅茶までも入る出し方が一応、決まっていたらしいというのも驚き。今の今まで私自身も知らなかったです。そんな和洋折衷。
 最後の方に、誌上人生相談、美容相談の例が展示されておりました。人生におけるお悩みが突飛な傾向にあるのは仕方ないとして、美容でお悩みになるベクトルが今とは随分違うのも興味深かったです。

 胸が大きいのが一番のお悩みらしい。これはまだ分かります。が、どうやら唇が厚いこともかなり恥ずかしいことのようで。

 唇に縦皺さえなければ効果絶大な???縮唇ポマードなる商品もあったようです。ボリューム感のある“ぷるるんりっぷ”な時代が到来しようとは、当時のオトメたちには想像だにできなかったでしょう。

女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)

女学生手帖―大正・昭和乙女らいふ (らんぷの本)

 この企画内容の流れ全般を抑えたこの本をつい、買ってしまいました。残念なのは、紙面の関係上、高畠華宵の展示画の点数がかなり削られていること。

 ここは元々高畠華宵のコレクション館。常設コーナーには最晩年に描かれた一枚の屏風絵がありまして。これがまた明治〜昭和初期にかけてのさまざまな階層の女性のファッションを春・夏・秋・冬と季節ごとに書き分け、一応、季節でパートが分かれつつも、渾然一体となっているというステキなものでした。うっとり。

 そしてお隣の竹久夢二美術館も共通で、2階の通路を伝って入れます。夢路館では、いわゆる女性の絵よりも、植物モチーフのグラフィックデザイン、テキスタイルデザインがいいなぁと。

 出入り口に小さいながらもミュージアムショップ(というか売店?)があります。そこには大勢の元オトメたちが群がって、レトロな柄の便箋、封筒、絵葉書、ハンカチ、手鏡などをお求めに。最後の土日ということも手伝ってか*4、小さくてマイナーと思われる割に、来客数は多そうでした。

 ただし、元オトメたちは今や、お金持ちな上に年金暮らしの優雅なご婦人方。かつては一生懸命に選んで買った便箋も、あれも、これも、それもみーんな!という具合に、大人買いし、大きな袋を抱えて帰途につかれておりました。
  
 私も一応、元オトメの端くれとして、夢路デザインのブックカバーを買ってしまいました。右上の画像です。

 ああ、それにしても。

 少女小説の中を開いた形での展示も沢山ありましたが、なんと言いましょうか、挿絵の雰囲気といい文章の紙面への割付具合といい、現行のSM小説みたいに見えてしまうのはなぜでございましょうか。

*1:いくらお金持ちのご家庭の子女でも、お父様が「女に学問はいらん」と切って捨てるタイプでは、女学校にはいけない。

*2:昭和5年のデータ。

*3:特に宝塚ファンの間で行われていたらしいです。当時の二大スターの名前をあわせている。

*4:行ったのは25日