世界遺産・博物館島 ベルリンの至宝展/東京国立博物館

 ポスターは、ラファエロやら、ボッティチェリミロのビーナスを全面に打ち出しているが、予想以上に、エジプトやら、メソポタミアやら、ギリシア・ローマに、イスラム文化、つまり非ヨーロッパものの展示スペースが多かった。ヨーロッパなんて、最後の3ブースくらいか。


 早い話が18、19世紀に探検、オリエント調査と称してドイツが騙し取った略奪品の数々ってことですね。イギリス(大英博物館)もフランス(ルーブル博物館)もやってたことですが。

 博物館島の「島」は誤植じゃないか?と、恥ずかしながら勝手に勘違いしておりました。が、ベルリンを流れる川に、4つの博物館でいっぱいいっぱいになっている中州があるんだそうで。

 館内ビデオをでみた、4つの博物館はそれぞれ壮麗で立派なものだ。ドイツの「栄光」という言葉が脳裏に浮かぶ。第二次大戦中の破損を未だ修復中であっても。


 戦火を避けて、収蔵品も国内、国外各地に散らばっていた。その後、東西に分かれたりで色々あったけれど、統一後、少しずつ作品を呼び戻し、2015年完成を目指しているんだとか。

 どれがどう、散逸していたのかは知らないけれど、そんな時、エジプトのお宝はエジプトへ戻すとか、そういう話はやっぱり出てこないのかなぁと思ったり。トルコやイランから、返還要求は出ないのか。イラクは…国家として機能しておらず。他人のところから分捕ってきたお宝半分以上で、世界遺産登録ってのも何だかなぁと。

 この企画自体、一大修復事業のお布施集めなのだろうか。


 どこのお国の人かは分からないが、インド〜イスラム系の男性が会場にいた。森美術館で以前、伊藤若冲の有名な鳥獣草花図屏風を見たとき、アメリカの日本美術コレクター(個人)蔵だったのにさえ、こんなものまでも…とあまりいい気分はしなかった。この男性はどう思っただろうか。

 碧と黄の鮮やかなライオンの装飾レンガ壁は、元々門のようだし、部分をはがすのではなく、現地で丸々保存するのが一番かと。無理か、イラクじゃ…。

 新興国家ドイツの心意気を表すように、そのころのドイツ人作家の絵は、朝焼けや、月明かりといった光の効果、および窓(外界とのつながり)、若い木と老木といった、風景と心象を結びつけたような作風のものが並ぶ。

 それらは、決して私の好みではないのだけれど*1、日本の場合、同じようなとき、つまり明治に移るとき、心意気とか何かを表現しよう以前の、外国から来た技術を何とか消化しよう、または日本的なものは、外国向け“商品”として売れるものにしよう、という思いでいっぱいいっぱい。ゆとりというか、態度の違いはなんともしがたいものだったなんだなぁと思う次第。当たり前で、仕方のないことなんですが。

 ところで。


 いつも国立博物館の企画展を見ると、それだけで疲労困憊で、常設展まで見る気力が残らず。今回も、さーっと「麗子像」と、江戸時代の武家の娘の婚礼衣装、仏像その他を見ただけ。

 今回、ドイツの博物館(ビデオ映像)を見た直後に思ったのは、あっちのは、とにかく「どんどん見ろ見ろ、ほれほれ、すごいだろう」と露出しまくるお宝陳列。


 で、こっちのは普段は公開されていない宝物庫を「ありがたく拝見せよ」と、隙間から覗かせてもらってる感じ。閉鎖的な感じというか。

 いや、実際にはゆったりとしたスペースで、ブツ自体はよーく見えるのですが。なんでだろう。なんか暗くて倉庫みたいだからか。

*1:ちょっとだけクリスチャン・ラッセンっぽいんで。