柳宗悦の民藝と巨匠たち/埼玉県立近代美術館

 子供向けリーフレット*1の「民藝ってな〜に?」のキーワードの項を要約すると

実用:使うことを目的に作られたもので、使いやすさがある。
複数:ふだん使うものとして、共同作業でたくさん作られ、値段の安いことも大切。
無名:特別な作家の作品ではなく、無名の職人さんによって作られたものである。
土地:それぞれの地方で暮らしから生まれた独特の色や形、その土地で守られていた伝統。

で、そんな中にこそ「美」があるということで。


 なるほど〜と思う。けれど、陳列されている品々は、残念ながら今、私の生活の中で使えそうにない、または使いたいと思わないものばかり。

 これらが作られた時代には、実用としての価値があったのかもしれない。けれど、急激に生活様式が変わってしまったんで、どーにもこーにもしっくりこないものばかり。既に、骨董品。一点くらい、置物・飾り物として置くにはいいかもしれない。味わいはあるから。


 または、これらで日常生活全般を本気で営んでいる人を妄想する。作務衣でも着ていそうな通人。民衆というイメージじゃないなぁ。
 
 コーヒーカップもあったけど、素人がひと目見ただけで、あー子供のころこういうデザイン流行ったなぁ(つまり今は古臭く感じる)、それにもっと使いやすそうなカップなら、他に沢山ある。


 インダストリアルデザインが発達して、長年の伝統と職人芸より、使いやすさという面でもそっちが勝ってしまった。時代の流れは、速すぎる。

 または、柳宗悦という人は、相当な渋々の地味地味好みな人なんではなかろうか、とか。そんな彼の審美眼で○○焼きとはこういうものだ(これが美しい!)と決め付けられているような気がしないでも。

 この手の審美眼というと、白州正子を連想するけれど、彼女はあくまで一個人としての立場でその眼を磨き、作家たちと交流する。けれど、柳氏の方は、いろんな人を巻き込んで“運動化”。なんとなく個人の趣味嗜好を、世の中の基準としようとしてるみたいにも思えて。


 例えば、彼が選んだ朝鮮の民画の数々。どれもこれも地味な色調。

 でも、銀座の画廊で見た、今も現役の「商品」として展示されていた同じ時代の朝鮮民画は、もっともっと艶やかなものだった。
 
 沖縄の紅型は、すばらしかった。でも、あれは琉球王朝の保護下で発達したもの。民藝の主旨とはちょっと違う。


 ♪ナンバーワ〜ンにならなくてもいい〜もともと特別なオンリーワ〜ン♪


というフレーズがグルグルと頭の中をめぐった。


 「君は、そのまんまですばらしい。その土地で生まれた特別な存在なんだからね。これから先も、(僕好みのまま)変わらないでいてね」


 まじめに自分の技や美に精進する職人が、そのままでいられるはずもない。で、無名から、有名の作家となる人たちが出てきても当たり前だ。


 それが最後の巨匠コーナー。困った柳氏の僧侶(作家)と平信者(職人)の関係に見立てて、同じ仏(美)に仕える心は同じ、矛盾はしない、という説明はやっぱり苦しいものがあるような。

 民藝運動とは直接関係ないのですが。


 若き日の柳宗悦が、展示会のために日本に初めて呼び寄せられたロダンの彫刻を横浜港で受け取り、東京の自宅まで持ち運んだエピソードが面白かった。汽車と徒歩。手が疲れたので、布で包んだだけのロダンの彫刻を、仕方なく股の間に挟んで立ってみたり。

 自宅近くまで戻ると、武者小路実篤白樺派のメンバーが待ちきれず、外に出てきていたり、テーブルにのせた彫刻を囲みつつ、皆で飲み食いしてたらしい。今では考えられない光景。瞳をキラキラさせながら「これがあの、ロダンか!」とか言いつつ、ワイワイしてたんだろう。


 本人の手記の一部が掲示されていたのだが、話でしか知らない未知の文化(西欧芸術)に直接(まさに文字通り!)触れる、明治時代の若者の興奮というか、熱さみたいなのが伝わってきて、うらやましいと思う。現代では、この種の感動って、中々体験できないだろうから。


 あー、でもよくよく考えたら、この人は最初、西洋文化研究から入った人なんでしたね。で、次に朝鮮の美を「発見」し、最後に日本の伝統へ。

 時代が時代だから仕方がない部分も大きいかもしれない。ただ、なんとなく、朝鮮工芸への賛辞の言葉の端々や、日本の地方工芸の収集の仕方が、西欧人がオリエンタルな美に触れたみたいな、そんな異質な(でも、心のどこかでは、一段低いものと見なしている)ものを「発見」し、自分の作った体系に組み込むことで、価値を授けてあげるみたいな、そんな雰囲気を感じるのは、西欧的な発想がベースにある人だからだろうか。


 放っておいたら消えて無くなってしまうよりは、ずーっと良かったとは思うけれど。

 そんな私も、日本のことについて殆ど分かっておらず、人のことをとやかく言える立場でもなく。学校の美術教育も、まず西欧美術ありき。民藝のことも、たかだかこの展示会を見ただけの知識でしかなく。

*1:こういう取り組みは、この美術館のいいところだと思う。大人にも大変便利。