火鍋いろいろ

 火鍋、火鍋。上海では犬もあるけば火鍋屋だった。その昔、上海には火鍋なるものはトンとなかったのですが。
 火鍋といえば、重慶。かの地には、当時もごくごく普通にありました。道端を歩いていると、よく「火鍋」と乱暴に墨で書かれたムシロが、竿の先っぽではためいていた。ムシロ製の旗という、その部分だけ江戸時代以前の茶店みたいだなという記憶。お店も、屋台みたいでした。
 昨日、上海お土産を食べて、ちょっと気になったのでネットでささっと調べると、今や香港でも火鍋はブームのようで。たくさんヒットします。
 ただし、香港式はこれ!と決まったスタイルがあるわけでなく、店ごとにオリジナルスープがあるようです。
 アジア鍋対決!:http://www.jtb.co.jp/kaigai/special/05winter/asia_nabe/hongkong.asp

 手元の'99〜'00「地球の歩き方 香港」などをパラパラめくってみても、「火鍋屋」紹介記事は全くないです。けれども、李錦記の「火鍋スープ」はスーパーにありました。自分でお土産として買ったので。
 この5年間の間のどこかで、一気に外食産業でブームになったということなのでしょうか?
 
 ちなみに、重慶火鍋は清朝末期に生まれたらしい。
 上海レストラン事情:http://www.mrisys.net/SHANGHAI/RESTRAN/SH/1998/S19981215.html

 重慶火鍋の歴史は清朝末期に遡る。交通不便な四川省では、流れが速く険しい川沿いを人力で木船を引っ張って行く。昼は河川に沿って歩き、夜は岸に泊まり、岸の石を積み上げ、竃をつくり鉄鍋一つに残ったおかずと生姜、唐辛子、花椒を一緒に煮込んで食べ、湿気と夜の寒気を逃れた。岸辺には屠殺を商売にする者も多く、内臓を安く買うことができ、その料理を俗に連鍋子、水八塊という。民国年間に麻椒(山椒)、ニンニクのみじん切り、唐辛子味噌で作った調味料をつけて食べることが市民の中で流行し始め、「火鍋」と呼ばれるようになった。

 あの凶暴な辛さ(それはそれで美味しいのですが)は、厳しい労働環境に耐えるパワーを得るためと、癖のある素材をねじ伏せるための必然なのだろうかと思ってみたり。
 そして、偶然こんなサイトも発見。
 日本の鍋物の歴史(紀文サイト):http://www.kibun.co.jp/enter/nabe/n-rekisi.html
 
 日本の鍋物の歴史は、高々200年くらいしかないというのは意外。鍋は神聖なるものゆえ、直箸で汚すのはタブーだったとか、日本の正式な料理は、ひとつひとつ皿に分けられ、身分や地位によって、また家庭でも主人と他の者とでは、皿数や盛り方が異なり、食事の場や時間さえ別だったというあたり、言われてみればなるほどなぁと。