「田原桂一 光の彫刻」展/東京都庭園美術館

 ヨーロッパの元々美しい石像を写真に撮って、何が光の彫刻(当たり前じゃ!)と思っていましたが、そんな単純な作品ではなく。深く反省。
 ロダンの、右手と右手が合わさったの彫刻。彫刻そのものをキレイの撮ろうとするのなら、石肌に合わせてライティングをする、はず。
 けれども、手のひらと手のひらの間に、光を閉じ込めたような具合に作品はなっている。実際に光(ライト)そのものは写っていないのだけれど、彫刻の手の明暗の具合からそう見えるようになっている。
 有名なロダンの彫刻を写してるのではなくて、光が閉じ込めてられている様を写したくて、この彫刻を選んだのだなぁと。
 石灰岩にプリントした作品が多い。(ロダンの手も)石にプリントしようと思い立ったのは、原爆で人の形(影)が瓦礫に写っているのを見たからだという。光による定着。ううう。
 だからかどうかは分からないけれど、石にプリントしたものは、彫刻だったり、エジプトの出土品だったり、歴史や時の流れを感じるものが多い気が。
 庭園美術館には何度も足を運んだことがあるが、いつも陰気くさいというか、妙な圧迫感を感じていた。が、今回はそんなことは全くなく。
 なぜなら、ほとんどの窓のカーテンが開放されていから。
 作品保護のため、通常は窓を閉め切っている。けれども、この展示は「光の彫刻」展。窓から差し込む柔らかな自然の光に裏側から照らされて、布やガラスにプリントされた葉脈が浮かび上がった葉っぱや、ゆりの花、まどろむ裸体(彫刻)がとてもキレイだった。
 また今回は壁にかける展示がないため、保護する衝立がない。だから、そのままの朝香宮邸のアールデコの花柄文様の室内装飾が見られてよかった。宮様たちも、本当はこれほど明るくて開放的かつ、モダーンな空間で生活していたのだなと実感できて。
 そういえば今回のモノクロ、石、アルミ、ガラス主体の展示物と、アールデコの内装はとてもマッチしていたように思う。
 初期の印画紙にプリントした作品もよかった。
 窓のシリーズ。窓越しのパリの風景。窓の汚れそのままに、フィルターのような効果。古びたものにもそれなりの味(単にめんどくさがりで放置なのかもしれないけど)があって絵になる。ピカピカに磨き上げて、真新しいことがよいとされる日本との違いをぼんやりと思った。これといった結論はないけれど。