今更ながら年賀状のこと

 年賀状が一通り届いた。去年までは年賀状といえばプリンターの性能合戦だなぁと思っていたが、今年はセンス自体がよくなってきている気が。デザイナーでもなんでもない、普通の人のデザインセンスがアップしてるんじゃないかと感じる。年賀状作成ソフトの力を借りていたり、素材の切り張りであって、一から作ってるわけではないにしろ、使いこなすにはそれなりのセンスってもんが必要なわけで。
 例えば、子供の写真一つ載せるにしても、ちょっと前まで親ばか自意識全開!!!で(>悪魔ですな〜と自分突っ込み。ヒドイ人間です。)、私に子ができたとしても、こんなこっ恥ずかしいことは絶対にしないぞ!!!と決意を新たにさせてくれるようなものが多かったような。
 ですが、今年は子供を出すにしても、自然な表情やポーズのをさりげなく挿入する具合で、好感が持てるようになものが多かった。何事もやり方次第。
 …と散々、他人の年賀状のことを言っておきながら、実は私は年賀状を書くのが非常に苦手。苦痛です。いただくのは苦痛じゃないです。文句言ってるくせに。
 頻繁に顔を合わせている人には、今更何を書いたらいいのやら…だし、離れてしまった人にはいつまで続けたらいいものやら、または私は関係を続けていたいけど、先方は迷惑だったりしないかな…とか。色々悩む。どうでもいいことで。真剣に出すのを一切やめようかと考えた時期もあった。
 結局、あれこれくよくよ悩むのは、他人様のことを考えるからだ、と悟りを開きました(笑)。年賀状を他人様のために出さなきゃならんと考えるから苦痛なのであって、自分のために出すと考えれば苦痛度合いが減るんじゃなかろうか。どうせ出さねばならないのが浮世の義理ってもんなら、少しでも自分のためになるようにしようじゃないか。
 それと同時に、私はある方の年賀状を毎年楽しみにしていたことを思い出しまして。
 その方は前の年に身の回りに起こった出来事を印刷ではありますが、数行に渡るまとまった文章で書いてくれていまして。「本年もよろしく」「お元気ですか」的なことが、儀礼的に書かれているだけの年賀状とはちょっと違っていました。でも、その方が今、どんなことを考え、どんな生活をしているのか、これからどうしたいのかが分かって、私はとてもいいなぁと。
 それで、少しその方を真似て、私も自分のことを書くことにしたのが3年前でした。
 年賀状とはいえ、自分語り的なことをするのには勇気が入りました。親ばか写真を載せるのと違う意味でのこっ恥ずかしさ。
 いいなと思っていたその方の年賀状に対しては、恥ずかしいなとは全く思わないのですが、自分がやるとなるとどうしてそう思うんでしょうかね。自意識過剰?それも一つの発見でしたが、去年(作っている時点では今年ですが)こんなことをした年だったね〜と自分自身を振り返ることができました。これは発見。
 読まされる方は、どう受け止めているのかは分かりません。お正月なのでダメだったこと、不幸話は避けようと思うあまり、結果としていい話になって、自慢っぽく思われているかもしれない。でも、まぁ、知ったことじゃないと開き直りです。私が私の1年にけじめをつけるために書くことにしたのですから。ちなみに今年のには、上海のことを書きました。
 そうそう。
 3年目の年賀状で気がついた変化は、デザインだけじゃないのです。残念ながら縁が切れてしまった人もいますが、お返事をくれ続ける人の中で、自分語りというか、近況報告を長めの文章でくれる人がちょっと増えました。
 私の文章が影響したかどうかは定かではありません。単に皆、語りたがるお年頃になったのかもしれません。ですが、何はともあれ、遠く離れてしまった人のこともより良く知ることができてよかったなと。
 で、結局ここの日記も、自分の記憶補助というか、自分の考えなんて非常にアヤフヤで信頼の置けないものだと分かってるから、とりあえず別名で保存しとくためにやってるようなものです。年賀状の自分語りと変わらないです。人様のためになんて全く考えてない(笑)。ひどいもんです。
 そんな日記にも、数少ないとはいえお付き合いくださってる方々がいて。ありがとうございます。ホントに。
 というわけで、大変遅まきながら、今年もよろしくお願いいたします。