最後の誘惑

最後の誘惑 [DVD]
 ウィレム・デフォーのイエスといい、その弟子達といい、従来の崇高なイメージを打ち砕く、ダメっぷりが見どころないい映画でした。実際、神から一方的に「磔になって死ね」って言われたって困るというか、イヤだと思う。人の子なら。だから最初は、そのお役目から逃げまくるイエス
 ハーヴェイ・カイテルのユダが一番、ある意味まともというか、ヤクザというか、肝っ玉がすわってて男だねぇという感じ。へタれイエスのお守り役。で、一般的には裏切り者はユダですが、この映画では裏切られたのはユダの方というのが何ともはや。
 以下、ネタばれ。

 これを見ながら思い出していたのは手塚治虫の短編*1。(多分、『ザ・クレーター』の中の話ではないかと。記憶が曖昧ですが。)
 それは、南米のどこか古代文明時代。ある少女が神のいけにえに選ばれて、祭壇の前で首を切られようと刀が振り下ろされる。まさにそのとき「人生の喜びを知らずして死ぬのはイヤだ」という彼女の願いを神が聞き入れる。一切の記憶を消された彼女は、なぜか現代の日本人の男性と結婚して子どもももうけて、幸せな生活を送る。しかし10年後、自分が何者であるか気がつき始めたとき、再び祭壇の刀が振り下ろされる瞬間に戻り、彼女は人生を体験させてくれた神に感謝しながら、死んでいくという内容だったような。
 ハリツケ直後に似たことがこの映画でも起こるわけですが、映画の方は悪魔の仕業でして。
 普通の男としての幸せな人生を歩んだことが、最終的にいけにえの羊に志願せざる終えない状況に追い込みをかける。
 この神様、悪魔のしわざだと分かってて、何十年も?放置してるわけで、どこかの掲示板よろしく、影で悪魔といっしょに
「イエスが追い込みかけられて、いけにえ志願する方に10万ガロン(w」
「肝っ玉が小さいから人として生を終える方に100万ペセタ(プ」
ってやってるのだろうかと妄想します。(これこそ神への冒涜?)
 だから同じような設定でも、映画の方が、より非情な感じがしました。命を奪うことに容赦ないのは同じですが。
 最初、やさしい顔を見せてホンネを吐き出させた後で、それを証拠に首根っこを押さえて、言うことを聞かなければならない状況に追い込む、けれども相手は決して、自分のことを悪くは言えない。このような人間の操縦法は『毛沢東の私生活』(チビチビ読んでいて一向に終わらない。)に出てくる毛沢東の支配の仕方に通じるものがある。毛オジサンは、やっぱり偉大なのか。
 だから最後、いけにえになります、あなたの息子になって世界を救いたいと哀願するデフォー・キリストがとても切なく見えたのでした。人の子の間抜けさ、弱さ。
 砂漠の神様にはちょっとついていけそうにないです。

*1:別の意味で、他には萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』。脳が漫画に毒され過ぎ。