筆跡の違う卒論

 切り貼りのデータに、ページごとに筆跡の違う手書きの企画書…で何かしばらく記憶の霧の中で引っかっていたのですが、思い出しました。私の卒論でした。
 締め切り一ヶ月前になって、急遽、資料から何から何までほぼ白紙に戻さなければならなくなりまして。
 精神的ダメージから立ち直るのに1週間。再び必要な資料をリストアップ、入手するのに1週間、読み込むのに1週間。構想2日。下書き及び、同時進行で清書が4日間でした。
 私の年次まで、ワープロ不可でした。ワープロだと筆跡が分からないから、他人が代わりに作って提出する可能性がある、というのが窓口だった学生生活課の当時の主張。
 じゃ、手書きならすべて本人の自筆といえるのだろうか?
 私の場合、確かに原稿文と資料の貼り付け指定は本人がやっているのですが、資料を切り貼りして清書していたのは、かわいい寮の後輩達でした。
 お昼ごはんをご馳走するというただそれだけの見返りだけで、徹夜作業にも交代で付き合ってくれまして
「すまないねぇ」
と言うと
「なんか、売れっ子漫画家とそのアシスタントみたいで楽しいです!」
と答えてくれる、出来すぎてもったいない後輩達でした。(目頭にハンカチ)
 一緒に夜明けの光を見ながら、フラフラの頭で生まれて初めてのリポビタンDを飲んだものです。というわけで、私の卒論はどう見ても異なる筆跡が5種類はあります。
 締切り5分前に駆け込み提出。久々にゆっくりとお昼ごはんを食べていたところ、後にも先にも、これ以上激しいことはないという頭痛に襲われました。
 1時間ほどでパッタリと収まりましたが、落ち着いて考えてみると死ぬほど痛かったのは左側ばかり。つまり普段使わない左脳をこの数週間、集中的に酷使していた反動が来たのかなと。
 学生の身でありながら、それまでいかに左側を使ってこなかったのか、文字通り身を持って思い知りました。情けない。 教授の評価は「内容はともかく、1ヶ月前の面談の時に絶対に間に合わないと思ったのに、間に合ったことに感動してB」。70枚以上あれば卒業条件は満たすのに、100枚以上の筆跡の違う大作?になっていて、彼も呆れていたのではないかと。
 研究者になりたいと思ったことは一度もなく、ただよい就職をするため、ちゃんと働いて1人前分、稼げる女になるのが目的で入った学校だったので、構わないのですが。

 翌年から手書きだけでなく、ワープロも可になったらしい。そして会社員となった私はワープロを飛び越して、いきなりパソコンで仕事をしていたのでした。学生生活課がなんと言おうと、時代の方がドンドン進んでいたわけです。