ちょっと観光ルートを外れてみた②

注)9/18〜/23に行った上海旅行の出来事を時々メモ代わりに書いております。


赤い壁の長屋エリアからふらふらと、人の流れに沿って歩くと、
参考画像①
いつの間にか市場になっていた。
参考画像②市場風景
正確には狭い道端にそのまま商品を並べている人達が大勢いて、更にそこへ地元の買い物客が押し寄せて、押すな押すなの戦場になっている。考えてみたら、日本でもスーパーの夕方商戦のはじまる時間帯。
参考画像③トマトとか、
参考画像④虫の息の鯉とか。
ほとんどの商品に値札なんぞはついていない。けれども、相当に大きなすいかで中身の質にもよるが日本のスーパーだったら1000円以上はしそうなものに1個「8角」とあるのを見つけた。約10円…。
今、上海人の平均月収が2〜3万円といわれている。日本の約1/10か。既に格差を見ているので、平均値というものに意味があるのかどうかは分からない。けれども、この市場は確実に安そうではある。
で、いつも不思議に思っているのが
参考画像⑤葉ものの野菜
ソウルや、ヨーロッパでも葉っぱだけバラにして売っていた。日本は根つき、もしくは白菜のようなチシャ類は玉のまま。世界的には日本のような売り方の方が少数派なのか?素朴な疑問です。バラでない方が鮮度が保たれる気がするのですが…。
そして、
参考画像⑥鶏
道端で正に落としているところだった。籠にはまだ二羽がいて、一羽は変わり果てた仲間を身じろぎもせず凝視。もう一羽は、目を閉じたまま声もなく鳴きつづけていた。『シティ・オブ・ゴッド』の冒頭シーンのよう。
こういう場面は、自分の生きていることの残酷さを確認できていいと思う。可愛そうと思っても、鶏は美味しいということも知ってしまっている。食べなければ生きていけない。トレーに入ったチキンからは命はイメージしにくい。
そして、観光客としてカメラを向けていること自体も同時に残酷なことなのだと思い知る。少しばかり強い円で遠くまでやってきて、世界をこの目でという欲望を満たしている。でも、やめられない。せめて自覚しておく。チキンも作った分、出された分は、ありがたく思って残さず食べること。
もっとも、鶏は本当は何も考えていないのかもしれず、私の妄想を勝手に被されて迷惑かもしれぬが。
市場を抜けて、しばらく歩くと大きな通りにでた。
参考画像⑦
どう考えても車両が通るのを見越して作られた車道だと思うのだけれど、地元の人々の憩いの散歩道になっていた。車道のど真ん中を、犬を連れていたり、数人集まってノンビリと談笑していたり。気がつくと、夕暮れ時。昼間は暑かったが、気持ちのいい風も吹いてきた。
だがこの道路、どこからどこまでが歩行者天国なのか???時間で決まっているのか?それとも、単に車が走ってこないだけなのか?
道路の延びた先にはやはり、高層マンションがそびえ立っているのだった。

勝手に続く。