南京ロード

注)9/18〜/23に行った上海旅行の出来事を時々メモ代わりに書いております。
南京路。それは上海の新宿(東口方面)とでもいうか。一大繁華街だ。そのほとんどが歩行者天国になっていた。

ビデオカメラを首にぶら下げ、小さな幼子を肩車した若いお父さんと、紙袋をいっぱい手に持った若いお母さんというのが、この街の理想モデル客ということでしょうか。実際には、オバサン買い物客が圧倒的に多いようなのですが。
日曜の朝の8時ごろぷらぷらと歩いてみたのだけれど、百貨店等は10時オープンだというのに結構な人出。香港含む中国各地からのおのぼりさん率高し。
オープン前の百貨店に人だかりが出来ていたので覗いてみると

社交ダンス大会が開催中。中国歌謡曲で無理やりウィンナワルツをしていたり、ロシア民謡のジェンカでジルバを踊っていたり。こういう不思議なカウントの取り方もあるのだと感心(マジ)。中高年が乱舞する中、清掃員の青年が我関せずとばかり、大きなモップでスーッと横切っていく。せっかく拭いても床はすぐ、ダンスのステップで汚れてしまうのだが。
その他にも、ラジカセから大音量を響かせて、いくつかの熱心な中高年舞踏団?がいた。

テクノに合わせてエアロビ風。ピンクのオバサマがさしずめインストラクター。ホテルの玄関のまん前で堂々とやっていても強面警備員(後の青い服の男性)は、遠目で見守る他なし。オバサンパワーは強し。

太極拳を、今風にアレンジした伝統音楽に合わせて踊っているような感じのグループ。珍しく男性のインストラクター。赤いTシャツの背中には北京舞踏学院の文字が。
必ずノリのいい音楽つきで、静かに太極拳そのものをやっているグループには出会うことがなかった。これも時代の流れか。

…というか、そもそも南京東路はこんなキレイな歩行者天国ではなく、真ん中にはトロリーバスと、大量の自転車と自動車がほこりを立てて行きかい、横断するのも命がけ?なほど混沌とした場所だった。歩道には生ごみがそのまま放置されていたり。早朝であっても集団で太極拳ができるような優雅な場所ではない。
そして南京東路といったら、明らかに漢民族とは異なる風貌の、おそらくウイグル系と思われる青年たちの印象が強く残っている。
彼らは外国人を見つけるとスーッと近づいてきて、すれ違いざまにささやいた。
「換銭(ホワン・チェン)?」
「チェンジ・マネー?」
兌換券を公定レートよりもいい条件で人民元に換えましょうと言っているのである。闇両替である。(当時、公定レートは1元=39円。そして闇レートは兌換券1に対し、人民元1.5〜2.0といったところ)
かつての中国には二種類のお金があった。兌換券(またはFEC、ワイホイ)は外貨から換えたお金で、外国人が銀行で両替すると自動的にこのお金を渡される。それに対し、人民元はまさに一般人民が普段使っているお金。建前上は、兌換券の1元は、人民元の1元と同じ価値を持つ。
けれども、品質のいい外国製品は兌換券でなければ買えないことが主な理由となって*1、兌換券ニーズが都市部では高かったのだった。*2
上海人から持ちかけられることもあったけれど、大通りに一定の間隔で立っていて組織的にやってるなと感じられたのが、ウイグル族と思われる人達だった。何よりあっさりしょう油顔の漢民族の街で、濃厚なソース顔の彼等は目立っていた。
兌換券制度は94年に無くなった。そして今、彼等を南京東路では全く見かけない。どこに行ったのだろうか。故郷へ戻ったのだろうか。
答えは分からない。
けれども、南京東路よりも南に少し離れた雲南路の美食街*3とその周辺に、イスラム料理の店(清真料理)が、集中していた。中にソース顔の中年オヤジがいた。美食街はかつてはなかった。もしかしたら、これがかつてのチェンジ・マネー青年たちが上海に根を下ろした姿なのだろうか。それもまた、憶測なんですが。

画像は平日の朝なのでレストランは営業しておらず。ピタパンのようなものを通勤時の上海人が買っていく。

牛肉をはさんで2.5元(約38円)ピタパンに似ているものの、結構、ふっくらしていたり、ゴマがまぶしてあったり、牛肉も甘めの中華風のタレで味付けされており、上海人(漢民族)好みを反映しているのだろうかと思ったり。

*1:他には渡航や海外送金など、人民が国外へ持ち出す金は兌換券でなければならないなど。

*2:逆に見たことがない、存在すら知らない人民もいて(特に田舎)、事実上、兌換券が使えないこともあった。よって地方を回ろうとする旅行者には、まとまった額の人民元を手に入れるメリットがあった。違法行為ですが。

*3:ストリート全体がレストランで埋め尽くされているところ