ヴァテールとバベット/フランス料理の200年

『宮廷料理人ヴァテール』宮廷料理人ヴァテール [DVD] と『バベットの晩餐会 ASIN:B00005FPTO 』。両方とも公開時に映画館で見てよい映画だなと思ったものですが、改めて見てみると別の見方ができたりして。
宮廷料理人…は、コンデ公という臣下が1671年、太陽王ルイ14世に対して行った3日間の一大接待の話。現在の日本のお金に換算すると約3兆5000億円もの金を投入したその一大接待の総プロデューサーがヴァテール。ホイップクリームを発明した人らしいですね。とにかく呆れるほどの浪費っぷりと、お笑いスレスレの過剰演出ぶりと、フランス王の権力の凄まじさ(その実、弱みはあっても決して見せないしたたかぶりも含めて)を感じさせる映画です。*1
そのお食事風景を観察すると、貴族の皆様はナイフと3本歯フォークを使っている様子*2なのですが、国王だけは手づかみで特に美味しそうな顔もせず、横柄な態度で食べてます。ルイ14世は生涯、食事は手づかみ主義だったという言い伝えを再現しているのか?*3
それは教会(カソリック)の古い教え「神の恵みに触れられるのは、神の作りたもうた手だけである」という教えを頑なに守ってのことか、フランス宮廷料理のそもそもの目的がローマ時代の祝宴のある種の再現、つまりフランス国王はローマの末裔であるよというプレゼンテーションであって、ローマの習慣通りにしてみせたためか、はたまた別の理由か、確たることは私には分からないのですが。
ただ、手づかみ食が優雅に出来たのも、手で軽く摘むだけでも事足りるほどカットの技術が高かったこと*4と、どの料理も手で触れても、大して熱くも冷たくもなかったからなんだろうなと。
今でこそフランス料理といえば、熱いもの冷たいもの、出す料理の順番を決めて、出来た順にテーブルに一品つづ運んでくるもの。けれども、当時はいちどきにやたらと数多くの料理を客の座る前から大皿で並べ立てておいて、次の料理は先の大皿のあとに次々と置かれ…というサービスの仕方だったらしいと、いくつかの本で読んだ覚えがあるのですが、映画でも全くそんな感じ。温かいものも冷たいものも一緒に出てくるうえ、料理はテーブルの上に長時間置かれっぱなしになるので、熱いものはぬるく、冷たいものは生温かく…となっているはず。
フランス宮廷料理とは、合理的に料理の美味しさそのものを楽しむというより、物量で富と権力を誇示して、相手をいかに圧倒させるかがポイントだったんだなと納得の映像です。で、そんな華やかな大広間と壁一枚隔てた通路ではネズミが走り回ってたり。うーむ。
それに対してバベットの方はと言うと。
デンマークの海辺の寒村で、ルター派のある牧師の生誕100周年を記念して、牧師の娘達と信者がお食事会をする話。牧師の娘達に、使用人として14年間仕えてきたバベットという名のフランス女性が、宝くじで得た1万フランを使って彼等に料理をふるまうのですが、実は、かつてパリで一世を風靡した女料理人だったという設定。派手さは全くないのですが、シミジミとしたいい映画です。
彼女が、フランスを追われてこの村に辿りついたのは1871年ナポレオン3世が失脚した翌年です。特に政治性はなさそうな人ではあるけれど、高級料理店の料理人という立場はやはり、権力者に近いということで糾弾されてしまったんじゃなかろうかという感じ。
そんな彼女の料理のサービスの仕方は、ほぼ今風。つまり一品づつ、タイミングを考えつくされた順番で出てくる。
このやり方、フランスオリジナルではなくロシア式らしい。寒いお国のロシア宮廷では、温かいものは温かいモノとして食べたいという欲求の方が、権威の見せびらかしよりも強かったのか。19世紀の始めごろロシア駐仏大使がこの方式でフランス人をもてなしたことから、徐々に広まって1880年ごろにはブルジョア階級にまで定着したらしいと手持ちの『グルメの食法』という本にある。つまりバベットは、ロシア式サービスが定着していくさなかに活躍していた料理人ということになりそう。
普段は、干した魚を戻しただけのスープとか、千切ったパンにビールを混ぜて煮詰めたお粥のような余りに質素な食事ばかりの村人が、最初は、素材のあまりの得体の知れなさ*5と、禁欲を旨とする宗教上の理由から
「料理は味わってはならない。決して料理のことは口にしないようにしましょう」
と頑な態度を取る。けれども食べたことのない美味しさに、料理が進むにつれ次第に顔がほころんでいく様がとても幸せそう。バベットもまた1万フランを使ってパリに戻ることではなく、ひなびた村に留まって身近な人、自分を必要としてくれる人を幸せにする人生を選ぶ。「貧しい芸術家はいないのです」と言って。
ヴァテールが、庶民の出でありながら自分の才をフルに開花させようとすること、それには貴族に仕えることであるが、どんなに「芸術家」たらんとがんばったところで、所詮、主人のコマの一つ、奴隷のような存在に過ぎない。大体、丹精込めて作った料理や、砂糖細工の見事な果物も、ちゃんと味わってもらえるとも限らず、駆け引きの材料として消費されてしまうだけで、誰かを幸せにするというものでもない。

たかが料理とはいえ、200年で変わったことは色々あったのだなと。個人的には、バベットの選択はちょっと聖人過ぎるなぁとか、ヴァテールも、死にたくなる気持ちは分かるけど、何もそこまでしなくても…と思ってしまうところもあるんですけどね。

*1:より詳しい内容は公式サイトで。

*2:追記:この時代は国王に習って、臣下も手づかみだったというという説もある。

*3:スプーンだけは使ったという説もあり。こういう話は、どこまで本当なのだろうか。何かしかの真実を表しているとは思うけれど。それにしても色んな伝説が多いなルイ14世。美男とか、イボ痔持ちとか、実は歯が無いとか、すごい口臭の持ち主とか、絶倫とか。

*4:皮の端をそっと引っ張るだけで、あたかも悪いお殿様に帯をクルクル解かれてしまう町娘のごとく、一見丸のオレンジだったのものが、あっという間に食べやすく房ごとにパラりと分かれるシーンは手品のよう。

*5:海がめはもちろん、牛やうずらなどの肉類もほとんど食べたことがないようで、調理場を覗いて悪夢にうなされるシーンが可笑しい。そりゃ、解体された動物ってのは見慣れなければグロテスクで驚くことでしょう。魔女料理。