私とチャウシェスク大統領①

昆虫界のチャウシェスク様(id:honchausさん)が8/27にご降臨されて、じゃ私はエレナ夫人か?と思ったりしたのですが、それとは全く別に思い出したことがありまして。もちろん、かの人物に面識などありませんが、89年の3月、私はルーマニアにおりました。
ドラキュラ伝説で有名なトランシルバニア地方のブラショフという町で、バスに乗っているときにお金を掏られてしまいました。中身は日本円にして1400円程度の現地のお金だったでしょうか。
また、ブカレスト北駅からブルガリアへ発つために夜行列車に乗る直前にも、やはりスリにあいました。ナップサックのポケットに入れておいたタバコのKENT*12箱です。
当時1400円というと、だいたい外人専用宿泊所に滞在しながら、食事観光その他をして一日過ごしてお釣りが来る額。ただしこれ、公定レートの場合。闇(ほぼ実勢レート)交換だと、150円くらいで一日過ごせる状況でした。
また、KENT2箱は、仮にお金に換算したなら外人が2泊分以上できるだけの価値はあったと思います。というわけで、1400円相当の現地のお金とタバコ2箱は、日本では想像もつかないほどの価値があったと言えます。
この犯人のスリは両方とも小さな子供達でした。幼稚園児ぐらいの子から中学生くらいの子達がチームを組んでいて、あっという間に遠くへかっさらわれてしまいました。お見事でした。これまで運良くというか縁あって、色んな国に行くことが出来たのですが、スリでやられてしまったのは、このルーマニアだけ。
…で、数年後。たまたま付けたNHKのドキュメンタリー番組で彼等が「チャウシェスクの子供達」の一部だったことを知るのです。
チャウシェスクの子供達」とは、国家は人なりと、4人か5人(この辺は記憶曖昧)以上の子供を産むまで女性に避妊も中絶も禁じたことによって発生した孤児たちのこと。貧しい国民がそんなに沢山の子供達を養えるはずもなく、教会の前に捨てられたり、子供の方も食うに困り果てて、都会に向かって家出したり。
捨て子は施設に回されるのですが、そこも貧しいことには変わりなく、みめ麗しい子供、テストで選ばれた一部の優秀な子供達は忠実な親衛隊員や子供マスゲーム要員として中央に引っ張られていくが*2、残された子供たちは劣悪な環境の施設にずっと閉じ込めらたまま、事実上放置。読み書きすら教えてもらいない。食べるものもないから、栄養補充のために職員の血をそのまま輸血するのも日常化。よって、施設に残された子供たちはAIDSの感染率が高く…。


泣きました。あまりにむごい事実に。


素晴らしい共産国家には、貧困による捨て子も存在しないし、資本主義の穢れた病のAIDSも入ってこないはず。だから、無視された子供達。何の対策もされないばかりか、国民もそんな子供達の存在を知らされることもなく。
食堂でも、物乞いをする子供たちが入ってくるので、大人たちが激しくぶって追い返す光景をよく見かけました。大人たちは「あれはジプシーの子だ」と説明していました。常に子供だけでいるところしか見たことがなかったので不思議だったのですが。
新しい体制になって、そんな子供達を保護するために、ブカレスト北駅の周辺をボランティアスタッフが説得に回る映像に登場する子供達は、全くもってあのころ駅周辺を走り回っていた子供達と同じ雰囲気でした。*3
あのお金やタバコは、食えない親元や、最悪の環境の施設から抜け出してストリートチルドレン化した「チャウシェスクの子供達」の、せめて一時の糧となってくれただろうか。正確には分かりようもないことですが、10万人いたという説もあります。

*1:私自身は全く吸いませんが、マイナーなお国を旅するにあたってタバコは時に貨幣よりもパワーを持つことがあるので、お守り代わりに持っておりました。当時、一般的にはマルボロが一番人気というか無難アイテムだったのですが、ここルーマニアでは、なぜかKENTがいいという情報を得ていたので、ハンガリーのドルショップでワザワザ購入したのです。実際、あのどん底の経済状況だったのにも関わらず、KENTのロゴ入り紙袋を持っている人を見かけました。灰色の街にKENTの赤と白のロゴ入りバッグは目立ちました。

*2:それも幸せとは言えませんが。

*3:元々施設から脱走している子が多いので、保護されること、施設に入ることに不信感が強いということだった。