伊那ローメン

弟が家族旅行のお土産としてくれた、長野県は伊那名物ローメンを食す。
ローメンとは、元々は炒肉麺(チャオローメン)と呼んでいたが、チャオがいつの間にか取れてしまってこうなったらしい*1。と言って、中華料理ではなく、戦後に伊那地方で生まれたもの。(詳しくはこちらでも。http://www.yomiuri.co.jp/tabi/gourmet/fu0110.htm
以前に、やはり友人からお土産としてもらった富士宮焼きそばと雰囲気が似ている。麺は、市販の蒸し焼きそば麺よりも、太くて硬くて、茶色くて、ゴムのような見た目。一度、茹でた後、添付のフルーツがたっぷり使用されているらしい甘めのウスターソースで味付け。*2ソース焼きそばの一種と言っていいと思う*3
富士宮焼きそばとの違いは富士宮にはいわしの粉、脂の揚げかすが入るが、伊那ローメンにはそれらはない。その代わりローメンの特徴は、羊肉を使うことにあるらしい。
けれども、今日は豚肉とキャベツで普通に仕上げてしまった。もちろん、それもイケる味です。日常食として美味しい。
しかし。
どうして似たようなものが、全く離れた場所で新しい郷土料理になっているのか。両方とも町おこしの材料になっており、焼きそばの歌、ローメンの歌まで用意されている。戦後の貧しい時代に、少量の小麦粉とあまりモノ、ありあわせの具で作ることが出来たというところからスタートしているのも共通。
そういう意味では、宇都宮餃子も同じだ。中国東北地方から引き上げてきた人達(第14師団)が、中国で覚えた味を、ありあわせのクズ野菜と肉を餡にして、臭みを消すために中国では使わないニンニクを入れて、更に、水餃子でも蒸し餃子でもない、焼き餃子にしてしまった。
富士宮焼きそば協会によると、富士宮焼きそばにも、中国からの引き上げてこられた人々が、関わっているらしい。
ローメンは、当時羊毛を取るのが目的で、捨てられるだけだった羊肉を使って、安く食べられるようにした。その代わり、肉の臭みを消すために、酢やおろしにんにく、ごま油などを食べる直前に好みに応じてかけて食すという。

けれども。
なぜ、小麦粉料理ばかりが、敗戦後直後に流行ったのだろう。食糧難なのに、手に入りやすかったのだろうか。
ここで、ふと連想する。当時、米不足対策のために政府は小麦を推奨したことを。米を食べると頭が悪くなる!?とか。そして、アメリカの余剰小麦を安価で大量に輸入したこと。*4その結果、米の値段の6割程度で小麦が買えたこと。*5
ちゃんとした文献をあたっていないので、あくまで仮説・推測・妄想に過ぎないのだが、アメリカから輸入された安い小麦が、新しい郷土料理誕生に一役買っていたのではないかと邪推。
現在、小麦自給率は11%(2000年)と大変に低いのだが、残り89%を100とした場合、52%はアメリカからの輸入*6。やっぱり、今も昔も小麦粉はメリケン粉なのだ。
そして、バブル崩壊後のアメリカにやられちゃった日本経済。その地方活性化のために、宣伝・消費されるのは、戦後に生まれた小麦粉主体の新しい郷土料理。アメリカという大きな大きなお釈迦さまの手の平の中で、キント雲を駆るイエローモンキー。

…と、妄想はこのくらいにして、この辺のこと、ちゃんとご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

*1:ラーメンとの語呂合わせ説もある。

*2:ソースの味は、富士宮は辛口だったかもしれない。

*3:ローメンには、スープタイプもあるらしく、そちらには汁気があるので違うかもしれないが、お土産で貰ったものはソース焼きそばっぽいものだった。

*4:この辺り様子は、sujakuさんのサイト http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040626#p1に詳しく出ている。

*5:参考:http://www.asagohan.org/txt/3-1.pdfの5ページ目の半ば。pdfファイルなので注意。

*6:参考:http://homepage3.nifty.com/tayorich/04food/02wheat/01.htm