世紀の祭典 万国博覧会の美術/東京国立博物館

再考 近代日本の絵画展( http://d.hatena.ne.jp/a2004/20040612)の「博覧会美術」の部分にフォーカスしたような企画。
ハッキリ言って外国に売るための商品としての美術品なので、伝統工芸品としてはあり得ないようなデザインのものがうじゃうじゃと。外人好みの幻のジャポニズムを日本人みずからが演出してるとでも言うか。
そこばかりを見てしまうと、どうしても痛い感じがしてしまいますが、だからと言って、前回の展示同様にチャチかというと全そうではなく、例えば同時期にフランス館に展示されていたアールヌーボーのガラス製品と比べても、その手仕事の精緻さはスゴイな〜と。壷でもすずり箱でも何でもホレボレ。売れるのも納得。実にいい仕事してます。(>中島誠之助風)本当にそう思います。
特に、掛け軸等、家具の一種として見なされてしまう日本画だったが、シカゴ万博において交渉の末、四角形の額縁入りにすることで工芸品ではなく、美術品として美術館に陳列をすることがやっとこさできたいう話は、何ともアレな感じですが、その和テイストな額装は、急ごしらえの割りにセンスいいよなぁと思うし、実際、富士山の作品は絵自体のよさもさることながら、今の洋風化した日本の建物にもそのまんま、違和感なく収まりそう…。でも、そう考え始めると、更に複雑な気分に???
で、更に次のパリ万博で、あっさり工芸は美術にあらずと、再び日本の工芸美術は元のポジションに戻されてしまって…うーむ。テーマ、主義主張がないとダメってのは分かるし、花鳥風月、美しいだけのものは消費されてオシマイになりがちなのも分かる。ただ、一方で現代美術ってやつも、行き着いた結果がコンセプト中心になりすぎていて、作家やキュレーターや専門家たちの独善、独りよがり(関係者よがり)という感しかしないものも多いように思えて、素人としてはどっちがいいんだか判断できず。
それにしても。
海洋堂ですか?原型師は誰ですか?と思わず尋ねたくなるような『12羽の鷲』をはじめ精巧で美しい動物フィギュアの数々や、村上隆のイラスト(ニッコリ笑顔の花のモチーフ、色使い)のルーツだろうか?と思わせる菊模様の花瓶の文様。山椒魚こそ這わせていないけど、合田誠の絵と何処となく雰囲気が似ていなくもない1900年のパリ万博で銀賞を取った黒田清輝の裸婦の図。
村上隆の一連の作品は、あまり好きではないのですが、やはり歴史を踏まえて製作しているのだろうか…とか。または、本質的に今も昔も外国に受ける日本のアートって変わらないのか等々、勝手に妄想が膨らんでしまいました。
サイト:http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=4 (29日まで)