私は一体何処にいるのだろうか in 町田②

7/9の写真ではないけど

 曽我さん似のおばさんが料理を振舞うお食事処で、かけつけビール中ジョッキ3杯のお水をいただいた。
 おばさんは、注文を受けてからもすぐには取り掛からず、料理も非常にゆっくり作るので、ラーメンが出来上がるころには私の体調も随分回復した。
 お昼時だけれども、私以外の客はいない。おそらく、私の後にも客は来ないだろう。細長いカウンターとテレビ、そして小さな扇風機だけがあるお店。けれども、入り口と、厨房裏のドアが開けっぱなしなので、風通しはすこぶるいい。ただし、今にも崩れそうな作りではあるが。壁には2001年から記録が続いているお天気表がかかっていた。
 お水を取り替えてくれる時も、ラーメンを出す時も、おばさんは一言もしゃべらなかった。相当に無愛想な人なのだろうか。けれどもお水は、私が何もいわずともさっと取り替えてくれた。
 おばさんはラーメンを出すと、かなり色黒の深いしわをたたえた、これまた北朝鮮の外交官似のご主人が加わって、お二人で昼食の続きをとり始めた。日本のではなく中華の飯碗に、丸く高く盛ったのご飯を食べていた。ボンヤリと二人と入り口の向こうの炎天下の白く光って見える外の世界を眺めながら、その昔、真夏の武漢で熱射病寸前になりながら、小さなお店に転がりこんだ時のようだと思った。テレビからは『ごきげんよう』が流れ、ブラザートムのギャグにおばさんはひーひー笑っているのだが。
 ラーメンは400円。普通に美味しかった。弱った体には普通に美味しいのが一番いい。エアコンではなくて、自然の風だったのも返ってよかったと思う。お会計のときもおばさんは無言だった。
 お店を出てバスに乗った。薬師池公園を通り過ぎ、ダリア園に向かった。
 町田ダリア園:http://www.city.machida.tokyo.jp/shi/leisure/c3-22.html
 ダリア園の向かいに、あのカフェの看板があった。ここから徒歩10分とある。ダリア園からバス停までが徒歩10分。その最寄バス停から、曽我さん似のお食事処近くのバス停までが、バスで10分以上だった。炎天下の中でこの看板を信じて歩いていったら、間違いなく遭難するだろうと思った。
 ダリアは新大陸原産の植物で、元々は球根部分を食用に使えないかと旧大陸に持ち込まれた。期待に反して食用としては全くダメだったのだが、後になって花がイケルんじゃないかと、品種改良が進んで現在に至る…と、浜松花博で得た知識を早速、脳内で反芻してみた。実際、この園にもコスモスか菊のようなダリアもあったりで、バリエーションが豊富だった。日本語の品種名も半分以上。けれども、中央に噴水を配し、左右対称に形作られているこの園は、一応、フランス庭園式を踏んでいるのだろうか。
 ここに不思議な女性がいた。
 ダリアに接写レンズを向けてシャッターを切ろうとしているまさにその時に、遠くから甲高い声で
「すいませーん!すいませーん!すいませーん!」
と呼ばれた。見ると小太りのショートカット、地味な顔立ちの気真面目そうな、でも年を取ってるんだか若いんだか分からない年齢不詳な女性が、こちらへ向かって手を振っている。一瞬、そんなに花に近づいてはいけませんと注意をされているのかと思ったが、どうも違うらしい。
「なんでしょうか?」
と聞き返すと
「こっちへ降りて来て、写真を撮って欲しいんですっ!」
と言う。
「ちょっと待ってください。今、こっちも撮ってる最中なので」
と答えたものの、一度、集中力が切れると元に戻すのに少し時間がかかるので、結局、彼女の要望をかなえてあげる方を先にすることにし、降りていった。
 彼女は自分は一歩も動かずに、手招きだけで私を呼び寄せて自分の使い捨てカメラを渡し、私に下がる位置まで指示すると、メガネの向こうの小さな目をめいっぱい大きく開き、少女アイドルのようなポーズをダリアの花の前でビシと決めて
「さぁ、どうぞ」
と言った。シャッターを押すと、再び手招きで私を呼び寄せ、使い捨てカメラを取り戻すとお礼もなしに「では」と去っていった。
 その後も、ダリア園のあらゆる方角から甲高い声の「すいませーん!すいませーん!すいませーん!」を何度も何度も聞いた。多分、ここがベストポジションと決めた場所を見つけると、最も近くにいる一眼レフカメラを首にぶら下げている人に片っ端から声をかけて、「私とダリア」という写真を撮らせているのだろう。
 ダリア園を後にし、バスにのって町田へ戻ったのが午後4時半ごろ。小田急町田駅の前で熱中症にかかって倒れたと思われるおじいさんが担架に乗せられて救急車で運ばれていくところが見えた。
 私も疲れ切っていたのでソファに座って仮眠でもしようかと、ルノアールに入った。
 つづく。