エレファントマン
今までこの映画を観たことは一度もないのだけれど、この映画には忘れられない思い出がある。
中学時代、バスケットボール部に所属していたが、そこでひどいイジメがあった。私は直接イジメの対象ではなかったのだが、かばったという理由で同じような立場にいた。そのイジメは、彼女を退部させるのが目的*1だったので、悲惨を極めた。彼女も私も、5時限目が近づくとストレスで胃痙攣を起こした。彼女は耐えられず、学校を抜け出して失踪したこともある。
顧問の先生にも相談したが、彼は結局イジメがあるのを知った上で無視すること、自分は関わらないことを決めた。
結局、彼女は最悪の形で自主退部することになった。部内での練習試合中の事故で、運動のできない体になったからだ。ただ、それまでも試合中に隠れて腹をける、足をひっかけるなどの嫌がらせはしょっちゅうあったので、あれが事故なのか故意なのか、本当のところは分からない。
そんな時分に、この『エレファントマン』は私の住む町の映画館で封切られた。大々的な宣伝がされたこともあって、あのイジメグループも観に行ったらしい。教室でこんな話しをしていた。
「エレファントマンってかわいそうだったね」
「うん、かわいそ〜」
「かわいそ〜」
「出てくる人、ヒドイ」
「イジメはいけないよね」
耳を疑った。ゾウのように醜いらしい男に対しては同情出来るのらしいが、自分達のやっていることとは全く結びつかないらしい。以来、観もしないのに『エレファントマン』という映画に勝手に嫌悪の念を抱いてきた。
それを今になって観てみようかと思ったのは、直接的には佐世保の事件か。子供同士の付き合いと言っても、大人が考えるほど単純かつ無邪気なだけでなく、残酷でドロドロしたものもあるということを思い出したからだ。
それで映画『エレファントマン』自体を観てどうだったかというと、あまりにイメージを膨らませてしまっていた反動で、意外とおどろおどろしくないという印象。もっとホラーなものかと思っていたのだが。
だが人間のさまざまないやらしさ、どうしようもなさ、露骨に悪意が有る場合も悪意はない場合も含めて、よく描かれていると思う。そもそも、顔を隠しているけれどゾウのように醜いらしい男の映画を見ようとする行為自体、あの見世物小屋に集う客となんら変わりがないんじゃないかとか。そんな中で、エレファントマン自身の人柄に触れて、考えが変わっていく人々もいるところが救いと言えば救いか。
ただ、エレファントマンを見る側の人間達はよく描かれているけれど、見られるエレファントマン自身が周囲の人間達を本当はどういう風に見ていたのか、それは明かされないままなのが気になるが、そもそもこれはアンソニー・ホプキンス扮する主人公の医者が残した手記(つまり実話)をフリークス大好き(つまり見る側)デヴィッド・リンチが映画化したものだから、エレファントマンからの視点が欠けているのは仕方がないことか。それにしても、見る側の方はホント、よく描かれている。
ところで、何年何年も経った後。
かつての母校の隣の中学の生徒がイジメが原因で自殺し、全国的な大ニュースとなって報じられた。その際、市の教育委員会の長としてマスコミに対応している人物を見て驚いた。あのバスケット部の顧問だった。
*1:このイジメはいじめられる側の個人の問題ではなく、明らかに構造的な理由があった。