HERO‐英雄‐

 英雄 ~HERO~ スペシャルエディション [DVD] 【注意】ネタバレあり
この作品「アクション映画」でも「史劇」にもあらず。中国ならではの「武侠映画」と強く心得て観るべし。
 
 「武侠」の「武」は「武術」であることに異論はないでしょう。「武術」と「アクション」は似ていますが、「アクション」が派手さとリアリティの追求にあるとしたら、「武術」は「型」「様式美」の追求と言えるかもしれません。(奇しくも、映画の中では、「書」と「剣術」の極意は同じというようなことが語られていました。)だから、ワイヤーで宙を仙人のごとくぴょんぴょん飛び回るのを「リアリティがない」などと非難しても、見当違いというものです。武術の達人たちの究極の技の「型」をあらわしているのですから。
 それでもまだ、「武」=「武術」の部分を単純に「アクション」という言葉に置き換えることは可能ですが、「侠」の部分はどうしても埋めることはできません。「侠」は「おとこぎ」。すなわち、損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性を意味します。(大辞林より)つまり、武術の達人たちが戦乱の続く古代中国に平和をもたらすために命をかけて秦王に挑む、その心意気があってこその「武侠映画」=「HERO」なのです。
 だから、主人公無名の真の目的を最後に知る段になっても
「…それって裏を返せば『チベットも香港も台湾も、ツベコベ文句を言ってないで、さっさと偉大なる我が中華人民共和国の元に統一されるがヨロシ。それが天下泰平の理アルヨ』っていう大国の都合のいい論理じゃないの?ブッシュ大統領も好きそうな考えよね」
などとツッコミを入れてはいけません。それは『水戸黄門』を観て「なんで見知らぬジジイが印籠出しただけで、悪党が揃いも揃って水戸光圀だって信じちゃうわけ?」とツッコミを入れるのと同じくらいヤボなことです。そういうものなのです。ちっぽけな私怨(祖国が秦国に滅ぼされようと)を捨て、大義(徳の高い王?が統治する戦争のない世の中の実現)に生きる、その美しき心意気に涙する映画なのです。たとえ無名たちの死後も秦王(始皇帝)は「焚書坑儒」などやりたい放題なのが史実だったとしても。
 以上の心得を持ってして観れば、手放しに面白い作品と言えると思います。舞い踊るが如くの戦いのシーン、またワダエミの衣装、シーンごとに赤・青・緑・白と計算された尽くした色使いはすばらしい。個人的にはマギー・チャンの大人の女性の魅力にぐっときました。彼女と並ぶとチャン・ツィイーはまだまだ小娘という感じがしてしまいます。