プレイタイム 

a20042004-04-21

 プレイタイム ( 新世紀修復版 ) [DVD]
 ジャック・タチ演じる「ユロ伯父さん」シリーズの最後の作品。*1
 一見パリの街中でロケしたかに見えるシーンも、ほとんどセットで撮っているらしい。DVDの映像特典による解説によるとタチヴィル(この映画のためだけの映画村)に、移動式のガラス張りの巨大なビル(に見えるセット)をいくつもこしらえて、遠近感を出すように組み合わせてみたりとか。カメラやスタッフの影が写りこむのを防ぐため、ビルの金属製の柱は、枠組みは木で作りながら、別のところで撮った金属の柱の写真を引き伸ばして貼り付けてそれらしく見せたりとか、街行く人、オフィスで働く人も、遠景ではベニヤ人間(ポーズを取った写真を等身大まで引き伸ばして、ベニヤ板に貼り付けたもの)と生きてる役者とのミックス。凝りまくり。「散歩する惑星*2と似ているなぁと思った。スタイリッシュでありながらも、同時に実写にこだわるあまり、かなり変な雰囲気を醸しているところが。今なら簡単にCGで帳尻合わせができるようなことではあるけれど、実写なら実写なりの、CGでは決して得られない効果というものがやはりあるのだ。(だからCGはダメだというつもりもない。当たり前だが、CGならではの表現というのはあるから。)
 先に映像特典の方から見てしまったので、「えーっと、あの人とあの人は動いてないから写真?あ、でも今動いたから違うか」と、小姑よろしくチェックに熱が入ってしまって、前半は落ち着いて見られず。右の画像は、ユロ氏が迷い込んだモダンなオフィスの中の光景で、やはりここにもベニヤ人間が何人かいる。
 ジャック・タチという人は、飛びぬけて観察力が鋭い人のようだ。同じく映像特典に「ぼくの伯父さんの授業」という短編が入っている。伯父さんが授業で教えるのはある特定の人物をイメージさせる典型的なしぐさだ。しょっぱなから「タバコ」というお題一つで「初心者の人」「上品な婦人」「外科医・アーティスト」などなどを、解説を入れながら細かな吸い方の違いを披露する。ベニヤ人間は、彼の考える典型的なその人物像のポージングをしたまま、止まっているに過ぎない。いやいや、動いている役者にも全て彼が演技指導しているらしい。空間から、そこに配される人物すべてがジャック・タチの考える世界なのだ。シュールだ。モダンなインテリアで、一見機能的だが、迷路のようでもあり、実際のところ本当に働きやすいのかどうか、かなり疑問なオフィスは、ある意味「ぼくの伯父さん」のぼくの住む家と共通している。
 典型的な人物像というと、この映画には日本人男性とアメリカ人女性も出てくる。日本人男性の登場シーンは一瞬で、メガネをかけて、困ったような弱々しい笑顔を浮かべながらぺコペコお辞儀をしつつ、後ずさりしながらフェイドアウト。うーん。そういう風に映っていたのか。
 アメリカ人女性は、団体旅行客という設定なのだけれど、みんな色取りどりの派手な造花をちりばめたお帽子をかぶっている。ドレスの色も原色系が多い。パリの女性がモノトーンでシックな装いであるのと比べると対照的だ。当時(67年)のモードは知らないが、「なに、あの格好」と揶揄されるシーンがあることからすると、少なくともパリジェンヌの目からは、あのファッションはダサいのだろう。
 昼間のシーンは空港やオフィス中心で無機的かつ、ストーリー上もすれ違いが続くので、笑いの中にもそこはかとない疎外感のようなものを感じるのだが、夜になると状況が変わる。街も人も生き生きとし、すれ違うだけだった登場人物たちが、ドンドン出会うようになる。ダンスフロアのあるモダンなレストランでの、クレイジーな夜はカッコいい。子供は入ってこれない、大人ならではの楽しみって感じがして。「こんなところで仕事なんてするな。今はプレイタイムだ!」
 明けて次の朝。太陽の光を浴びてのカフェでの気だるさもいいけど、ロータリーでの車の渋滞がメリーゴーランドのように映し出される。夢のようだ。
 それにしても、向かい合わせの2部屋のアパートの、延々と続く窓ガラス越しのサイレント芝居。セリフは聞こえないのに、ちゃんと会話が分かるところがスゴイ。そして、レストランでの丸のままの魚料理。テーブルまで運ばれたものの、サーブをするギャルソンたちがコロコロ変わってしまうため、その度に何度も塩こしょうを振りかけられつづけて、最後どうなっちゃったんだろうか。気になる。行方も味も。

*1:関連:「ぼくの伯父さん](id:a2004:20040314) 

*2:関連:id:a2004:20040307