燃えつきる

 学生時代の友人と自由が丘でランチをする。彼女は会うと、いつでも私に他の人たちの動向を教えてくれる。それだけ彼女はいい人だから今に至るまで色々と親交があって、私はずぼらな上、性格も悪いときているので彼女くらいしか付き合ってくれないということなのだろう。

 その彼女からいつも話題に上るH嬢なのだが、全ての友人と一切連絡を絶っていたと思ったら、実は長い休職をしてたという。驚いた。H嬢は、新聞記者として大活躍をしていた人だ。署名記事は時々目にしていたがそれだけはなく、例えば、ジャカルタ支局時代には東チモールがらみで数年間危ない橋を渡った後、本社に呼び戻されたとたんにアフガン紛争が始まり「なんとしてでも担当になってやる」と、上を説得するのに奮闘したり、とにかくパワフルな人という印象なのだった。さすがにアフガン行きはタイミングが一足遅く、逃したらしいのであるが。

 また、若くして広尾にマンションを購入し、そのお披露目ホームパーティに呼ばれた時のことを彼女がやや興奮気味に「バブル全盛期のトレンディドラマのようだった」と語っていたことも覚えている。モデルルームのようなおしゃれなオープンカウンターのキッチンと10畳以上あろうかと思うリビングルームからルーフバルコニーが続き、テラスにもたれながら夜空に輝く東京タワーを臨める立地。集う客も、国際色豊かなインテリばかりで「こういう世界もあるのね」と英語の達者な友人は言い、私はとにかくマンションのことで「独身女の憧れの城だわ」とため息をついたのであった。

 去年の秋ごろからメールや手紙に全く返事がなくなった。年賀状もなし。ものすごく忙しいか、人とは接触したくない気分なのかもしれない、とあまり気にしないようにしていたのだが、彼女よりももっとH嬢と近しい間柄の別の友人から「Hと全く連絡が取れないのだけれど、何か知っている?」と聞かれて、初めて只事ではないと思ったらしい。何度か直接、広尾に出向いても不在のようで、恐る恐る会社に電話で問い合わせてみたところ、去年の秋からずっと休職していたがこの3月から復職したことが分かった。ただ、記者ではなく事務系の内勤をしているという。電話に出てくれた人は、彼女が学生時代からの友人であることを知って、かなり言葉を選んでいる様子で、具体的なことには何も触れないものの「以前とはかなり違うと思いますが、できればH嬢を励ましてあげて欲しい」というようなことを言われたらしい。

 それで結局、私は今日の話題にするのはやめようと考えていた話をすることになってしまった。私のバイト先で問題になっているKさんという女性のことだ。

 Kさんは、この会社でマーケティングプランナーとして長年バリバリと働いてこられた方なのであるが、一年前あたりから少しづつおかしな言動が出るようになった。周りの人間は、Kさんはこれまであまりに忙しく土日もなく働いてきたから休めばよくなるだろうと、溜まりに溜まった有給休暇の消化を勧めたり、それとなくクライアントの数を減らして負担を軽くするなどしてきた。ところが効果がないどころか、ひどくなるばかり。突然、キレて周囲に当たることがあるかと思えば、パソコンのモニター画面をボーっと何時間も眺めてたり、意味不明のメール、そして少なくとも以前より仕事の絶対量が減っているはずなのに、退社時間が午前4時だったり。

 Kさんのことは昔からよく知っている。以前は全くそんな人ではなかった。ものすごく真面目でいい人だった。今だって落ち着いているときは、そうだ。ただ、いい人過ぎて我がままなクライアントやバカな広告代理店の頼みごともキチンと受けて返すから、益々頼りにされて更に忙しくなって…ここまで来てしまったように思う。マーケティングプランナーの仕事そのものにヤリガイがあることも大きいかったかもしれない。でも、何がきっかけかは分からないが、Kさんの中で何かがぷっつりと切れてしまったのだろう。

 「燃えつきちゃったのね」目の前の友人は言った。「HもKさんという人も」

 まだまだ書きたい続きがあるのだが、とりあえず今はここまで。ただ言えるのは、H嬢もKさんも決して特別じゃないということと、できるだけ早く楽になれるといいなと願っているということだ。