アンディ・ウォーホルを撃った女 ASIN:B00005ET8I

 ヒロインは、当然「アンディ・ウォーホルを撃った女」なわけだが。レズビアンで、すべての男は抹殺すべしという過激な主張を持っていて、小柄で、早口で、いつも小汚いダボダボの服を着て。でもって、顔がナイナイの岡村君にそっくり。彼女がキレて、エキセントリックに叫びながら机をひっくりかえしたり、壁を蹴り上げるシーンなどは前後のストーリーがなければ「めちゃイケ」のコントのようでもある。

 以前読んだ森村泰昌の本「踏みはずす美術史」踏みはずす美術史 (講談社現代新書)の中に、ポップアートは本当にポップなのか?というような問いかけがあった。ポップとはポピュラーの意味である。アメリカ人にとってのキャンベルスープは、まさしくありふれていてポピュラーなモノだけれども、日本人にとっては絵に描いた餅ならぬスープ、つまり実物を見たこともなければ飲んだこともない人がほとんどなモノである。だから、ポップアートの人気というか捕らえ方が、日本では全く別のところにあるのではないのか、というようなことだったような。つまり、アンディを撃った女がどうしても岡村隆史に見えるというのは、私がどっぷり日本のカルチャーに染まっているせいだと言い訳したいのです。

 けれども、映画の半ばで延々と流れるファクトリー*1での乱痴気パーティーの何ともいえない空虚さと、東京現代美術館で目の当たりにした、アンディ・ウォーホルキャンベルスープその他の作品から感じた空虚さとがとても似ていて、ポップアートとは、こんな空気の漂う場所から生まれたものなのねと思った次第なのです。

*1:ウォーホルの工房。アパートの一室だが、真っ白な壁で妙に天井が高い、だだっぴろい空間。さまざまな人々が自由に出入りをしていた。と、ここまで書いて、東京現代美術館の展示空間と字面上は同じことに気がついた。